2022年1月26日水曜日

2022年1月26日の聖句

みわざを、あなたのしもべらに、ご威光を彼らの子らの上に現してください。(詩編90:16)
言は肉となって、私たちの間に宿った。私たちはその栄光を見た。それは父の独り子としての栄光であって、恵みと真理とに満ちていた。(ヨハネ1:14)

「言は肉となって、私たちの間に宿った。」神さまは、天地を創造する初めの時から、言によって世界に働きかけておられました。「光あれ」と神さまが言われるとき、光が呼び出されました。天も地も、空も海も陸も、そこに生える木々や実を付ける植物、海の魚も空の鳥も、地の獣も、すべて神さまがその御言葉によって呼び出しました。そして私たちも、神さまが御言葉をおかけになったから、今ここにいるのです。「宮井岳彦あれ」と神さまが言をおかけになったから、私は今ここにいます。私たちの存在の根源は神さまの言に呼び出されたという事実です。
その言は、単に発せられてすぐに消えてしまうものではありません。光を、空を、陸を生み出す、出来事の言葉です。そして、その言葉は単に神さまのところから発せられて私たちに届くコミュニケーションの手段にはとどまらず、この言は神様ご自身なのです。「言は肉となって、私たちの間に宿った。」言が肉となった。神さまの御言葉は現実を生み出す出来事であり、神様ご自身であって、単なる音声や情報伝達や意味を超えた、神さまの存在そのものなのです。
心を込めたラブレターを破り捨てられたら、傷つきます。その言葉には存在がかかっているからです。私たちは言葉で嘘をつくこともできます。その場合は、自分の存在と言葉が分離してしまっています。神さまにとってご自分の言は、御自身の存在そのものです。言が肉となって、独り子の栄光、恵みと真理に満ちて私たちのところへ来られた。神さまの存在そのものを私たちに預けてしまわれたのです。ラブレターは、信頼している相手にしか出せないでしょう。もしもその人が他の人に晒したり、笑いものにするような人だったら、ラブレターなんて怖くて出せません。神さまがご自分の存在を明け渡して独り子を与えてくださいました。私たちにどんなに裏切られても、言を向け続けてくださいました。神の言は私たちへの愛と信頼のしるしです。
今日も、私たちは神さまの御言葉を聞いて、祈りつつ一日を始めました。神様ご自身の存在を頂いて、私たちは新しい一日を始めました。驚くべき出来事です。

2024年4月25日の聖句

救いは主のもの。 あなたの民の上に祝福を。(詩編3:9) イエスは手を上げて彼らを祝福された。(ルカ24:50) 主イエス・キリストは復活して40日間弟子たちと共におられ、その後、天に昇って行かれました。その時、主イエスは手を上げて弟子たちを祝福し、その恰好のままで天に上げられて...