2022年1月9日日曜日

2022年1月9日の聖句

災いあれ、馬を頼みとし、数多くの戦車に頼る者は。イスラエルの聖なる方に目を向けず、主を求めようともしないからだ。(イザヤ31:1)
だから、私たちは押し流されないように、聞いたことにいっそう注意を払わなければなりません。(ヘブライ2:1)

今日の御言葉は、、神さまに目を向け、主を求めることのすばらしさ、かけがえのなさを強調します。神さまを仰ぎ、主に祈りつつ生きることは他の何にも変えることのできない幸いです。
讃美歌522番に「キリストにはかえられません」という曲があります。「キリストにはかえられません、世の宝もまた富も、このおかたがわたしに代わって死んだゆえです。」世の宝や富は、私たちの目を惹きます。魅力的です。馬や戦車は頼りになります。しかも今日の旧約の御言葉は今の私たちとは比べものにならないほど戦争が多く、地政学的に厳しい環境に生きていた人々に語られた言葉です。馬や戦車に頼らなければ生きていかれないはずです。しかし、それらが却って神様に頼り、神さまに目を注ぐことを阻害してしまうなら災いだと言うのです。
キリストにはかえられない。なぜか?この讃美歌は3節でこのように歌います。「キリストにはかえられません、いかに美しいものも。このお方でこころの満たされている今は。」キリストの愛が私の心を満たしている。だから、他のものが入り込む余地はないと言い切るのです。
ただお金がなくては生きていかれないし、生きていくために必要なものはいろいろあります。それは当然のこと。しかし、私たちが生きるために本当に頼るべきは、お金や力や美しいものなのでしょうか。それとも、神さまなのでしょうか。
「だから、私たちは押し流されないように、聞いたことにいっそう注意を払わなければなりません。」注意を払わなければ、押し流されてしまうと言います。どういうふうに注意を払えば良いのか。「聞いたことにいっそう注意を払わなければ」と言います。聞いたこと。私たちが耳にした福音の言葉に注意を払おうと訴えている。この方で心を満たされていることに注意を払おう、と言うのです。
神さまは、私たちが生きるために必要なものが何かをよくご存じです。生きていれば自然にすいてしまうお腹を作ったのは、神さまです。私たちの体は衣服をまとわなければ凍えてしまうことも、神さまはご存じです。神さまは喜んで必要なものを下さいます。だから、神の国と神の義を、まず求めましょう。それこそ、何にもかえられないすばらしい宝です。

2022年1月19日の聖句

貧しい者を嘲る者は自分の造り主をそしる。人の災難を喜ぶ者は罰を免れない。(箴言17:5) 憐れみ深い人々は、幸いである。その人たちは憐れみを受けるからだ。(マタイ5:7) 今回のコロナのことで痛感させられたことの一つは、苦しむ人と私との差は何もない、ということです。いつ、どこで、...