2022年1月10日月曜日

2022年1月10日の聖句

知らずに犯した過ち、隠れた罪から
  どうか私を清めてください。(詩編19:13)
主は、闇に隠れたことも明るみに出し、人の心の謀をも明らかにされます。その時には、神からそれぞれ誉れを受けるでしょう。(1コリント4:5)

シモン・ペトロは、ガリラヤ湖の漁師でした。ある日のこと。一晩中漁をしても一匹の魚も捕れなかった朝。主イエスが押し寄せる群衆に神の国の福音を語るために、そこにいたシモンに頼んで、舟に乗って少し漕ぎ出し、そこから説教をなさいました。群衆が解散した後に主イエスはペトロに言います。「沖に漕ぎ出して網を下ろし、漁をしなさい。」シモンは一晩中網を下ろしても一匹の魚も捕れなかったのだけれどもといいながら言われたとおりにしたところ、網が破れそうなほどのたくさんの魚が網にかかりました。シモンはイエスの足元にひれ伏して、言います。「主よ、わたしから離れてください。わたしは罪深い者なのです。」シモンは何の脈略もなく、突然、「私は罪深い者なのです」と言いました。一見すると不思議なようにも見えますが、しかし、これが神さまの前に出るということに他ならないのです。普段は気にしなかったり、忘れていたり、誰にも見られていないから秘密にしていたり、あるいは自分でも気づかなかったりする罪。それは、神の子キリストの前で暴かれてしまう。「主は、闇に隠れたことも明るみに出し、人の心の謀をも明らかにされます。」だから、私たちはこの方を恐れるのです。
「知らずに犯した過ち、隠れた罪から、どうか私を清めてください。」私たちには、人目や神さまから隠しておきたい罪、見られたら自分はもう終わりだと自覚している罪もたくさんあると思います。しかし、そんな小さな自覚では追いつかないような、自分でも気づけない過ちがどんなにたくさんあるのでしょうか。怖くて考えられない。自分の存在その者が歪んでいて、さかさまになってしまっているから、悪いかなと思ったところを微調整してもどうにもならないのです。歪んだ私たちを救うことができるのは、神さまだけです。「知らずに犯した過ち、隠れた罪から、どうか私を清めてください。」
イエスの足元にひれ伏すしかなかったシモン・ペトロに、主イエスは「恐れることはない」と言ってくださいました。キリストは私たちに言ってくださいます。「恐れることはない。」この方が、私たちを、罪から救ってくださるからです。存在が歪んでしまった私たちを新しくしてくださるからです。私たちは神が下さる誉れを心から喜んで、今日という新しい一日に出かけて行きます。

2022年1月19日の聖句

貧しい者を嘲る者は自分の造り主をそしる。人の災難を喜ぶ者は罰を免れない。(箴言17:5) 憐れみ深い人々は、幸いである。その人たちは憐れみを受けるからだ。(マタイ5:7) 今回のコロナのことで痛感させられたことの一つは、苦しむ人と私との差は何もない、ということです。いつ、どこで、...