2022年3月1日火曜日

2022年3月1日の聖句

あなたを慕い求める人たちがあなたにあって楽しみ喜びますように。(詩編40:17)
彼らは毎日心を一つにして宮に集まり、家々でパンを裂き、喜びと真心をもって食事を共にし、神を賛美し、民全体から行為をもたれていた。(使徒2:46~47)

パンを裂き、食事を共にし、神を賛美する。これが教会の歩みであった、と聖書は伝えています。この「パンを裂き」というのは、聖餐を指す言葉です。キリストがご自分の体を裂いて十字架にかけられ、血を流して、私たちに命を与えてくださいました。生まれたばかりの教会はすぐにこの出来事を記念し、キリストが最後の晩餐の席でしてくださったように、パンを裂き、それを分け合ってキリストを礼拝したのです。私たちの献げる礼拝は、パンを裂いて分け合うことです。
今回のコロナのためにいろいろな制限を受けてしまいましたが、その中でも、聖餐が受けたダメージは大きかったと思います。私たちの教会では一年ほど前から聖餐を再開しました。しかし、私の知るかぎり、カトリック教会はもっと早く再開していました。プロテスタント教会の礼拝の中心は説教ですが、カトリック教会の礼拝の中心は聖餐(彼らは「聖体拝領」と呼びます)です。そういうこともあって、聖餐のかけがえなさにより敏感であったのかも知れません。しかし私たちにとっても、聖餐の尊さ、大切さは何ら変わるところがない。キリストが裂いて分けてくださったご自身のお体を食べることで、私たちは命を頂いて生きているのです。
これを頂く教会は、聖書によれば「喜びと真心をもって」これを共にしていました。キリストの命を受ける群れは、キリストのお体を裂いて分け合うことで、喜びと真心を新しくして、神への賛美に生きていたのです。
私たちは、罪深い者です。神さまの子どもを十字架にかけて殺しました。私たちはそのキリストの命を頂かなくては生きていけないのです。キリストのお体を頂かないことには、私たちはもうどうしようもないのです。神さまの憐れみの中で、キリストの命を頂いて、今生かされている。この事実こそが、私たちの喜びの源泉なのです。

2024年12月26日の聖句

私が主、彼と共にいる彼らの神であり、彼らがわが民イスラエルの家であることを、彼らは知るようになるーー主なる神の仰せ。(エゼキエル34:30) 今日ダビデの町に、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。(ルカ2:11) 天使が羊飼いたちに向かって宣言し...