2022年4月11日月曜日

2022年4月11日の聖句

昨日から受難週になりました。今年の受難週は、毎日読んでいるこの「日々の聖句(ローズンゲン)」が掲げる御言葉に導かれて、受難週の黙想をしていきたいと思います。普段は日々の聖句の日本語版を作った方が、原文のドイツ語版の聖句を日本語訳したものが掲載されているので、基本的にはこのメールでもそのまま引用しています。この一週間は聖書協会共同訳に準拠した翻訳を採用するようにします。

2022年4月11日の聖句:
勇ましくあれ、心を強くせよ。主を待ち望む人は皆。(詩編31:25)
このキリストのお陰で、今の恵みに信仰によって導き入れられ、神の栄光にあずかる希望を誇りにしています。(ローマ5:2)

今朝のローマの信徒への手紙の御言葉は4:25から続けて読んだ方が分かりやすいと思います。
「イエスは、私たちの過ちのために死に渡され、私たちが義とされるために復活させられたからです。このように、私たちは信仰によって義とされたのだから、私たちの主イエス・キリストによって神との間に平和を得ています。このキリストのお陰で、今の恵みに信仰によって導き入れられ、神の栄光にあずかる希望を誇りにしています。」
主イエス・キリストはこの私の罪のために十字架で死に、この私を義とするために復活させられた。キリストのお陰で私たちは神との間に平和を得ている。今日の聖句で「今の恵み」と言っているのは、この神との間の平和のことです。
私たちは切に平和を求めています。ウクライナでは戦争が起こっていますし、あまりニュースになりませんがエチオピアでもひどい紛争が起こっており、あるいはミャンマーでの軍事クーデターの後の状況も依然として厳しいようです。戦争でも、もっと小さな範囲の喧嘩のようなことでも、相手を人間と思わなくなっていきます。相手が自分と同じ人間だと思っていたら、相手を苦しめることはできなくなってしまいます。
聖書は「神との間に平和を得ています」と言っています。平和を得ているということは、かつては平和ではなかったと言うことです。ある人が、私たちにとって神は不倶戴天の仇だったと言っていました。神にとって私たちは、ではありません。私たちにとって神は、同じ天の下に生きることのできないほどの仇だ。だから神を神扱いしない。神を神扱いしないときに何が起こるのか?神を殺した。神の子であるイエス・キリストを。イエスは私たちの過ちのために死に引き渡されたのです。
神を敵としていた私たちとの間に、神が平和を打ち立て、私たちに和解の手を伸ばしてくださいました。それが、イースターの朝の出来事、キリストの復活の出来事です。今や私たちは、キリストのお陰で、今の恵みに信仰によって導き入れられています。それどころか、神の栄光にあずかる希望を誇りにさえしている。だからこそ、この一週間、神を敵として生きてきた私を神の御前に悔い改め、そして、神との間の平和を海しなっているからこそ今痛み、争いが止まないこの世界のために平和を造り出すものに私をならせてくださいと祈り、この受難週の歩みを重ねていきたいと願います。

2024年4月19日の聖句

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