2022年4月13日水曜日

2022年4月13日の聖句

彼は立ち上がり、主の力と
  その神、主の名によって群れを治める。
彼は安らかに住み
彼は今、大いなる者となって地の果てにまで及ぶ。(ミカ5:3)
イエスはお答えになった。「人の子が栄光を受ける時が来た。よくよく言っておく。一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままである。だが、死ねば、多くの実を結ぶ。」(ヨハネ12:23~24)

今日与えられているミカ書第5章の御言葉は、一節から読んでみると、私たちに聞きなじみのある御言葉です。「エフラタのベツレヘムよ、あなたはユダの氏族の中で最も小さな者。あなたから、わたしのために、イスラエルを治める者が出る。」クリスマスに読まれるマタイによる福音書第2章6節に引用されている御言葉です。クリスマスにお生まれになった救い主、イエス・キリストは、主の名によって私たちをお治めになる。今朝のところでは「彼は今、大いなる者となって地の果てにまで及ぶ」と書かれています。
主イエスさまが大いなる者となり、地の果てにまで及んだというのはいつのことなのか?ナザレを中心に、イスラエルの中を旅した三年間でしょうか?多くの病人や貧しい人々を訪ね歩いた日々でしょうか?ラザロを生き返らせ、その名が一挙に広まった時でしょうか?主イエスはおっしゃるのです。「人の子が栄光を受ける時が来た」と。いつなのか?「よくよく言っておく。一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままである。だが、死ねば、多くの実を結ぶ。」一粒の麦、主イエス・キリストが栄光を受け、その御名が地の果てにまで及ぶ時、それは主イエスが地に落ちて死んだ時です。十字架にかけられて殺された時、主の栄光は地の果てにまで及ぶのだ、と主イエスは言われるのです。
スポーツ選手であれば、その栄光が地の果てにまで及ぼされるのは、オリンピックのような大きな大会で優勝した時でしょう。日本シリーズや天皇杯、花園、甲子園、・・・。そういった華々しい場所で栄誉ある成績を残した時です。学業であれば一流大学に合格した時かも知れませんし、学位を取得したり、すばらしい論文が世に認められた時かも知れません。そういった栄誉に浴した人に会うだけで、私たちは緊張するし、とても光栄なことだと思います。ところが主イエスの栄光は、私たちの常識からは外れています。十字架の上で殺された時、主は栄誉をお受けになる。それは、私たちが、一粒の麦が地に落ちて死ぬように、この方が死ななければ命を得ることができないからです。主イエスは十字架の上でご自分が死ぬことによって私たちに命を得させるから、ご自分の死を栄光の時と言ってくださるのです。
キリストの十字架の栄光を、今日仰ぎましょう。このお方の御苦しみによって命与えられた私と、今日新しい思いをもって信じ、その事実を受け入れましょう。私たちのために、キリストの命が注がれているのです。

2024年4月26日の聖句

神を畏れ、その戒めを守れ。これこそ人間のすべてである。(コヘレト12:13) (イエスの言葉)「第一の戒めは、これである。『聞け、イスラエルよ。私たちの神である主は、唯一の主である。心を尽くし、魂を尽くし、思いを尽くし、力を尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。』第二の戒めは...