死期が近づいたとき、ダビデは息子ソロモンにこう言い残した。「私は、この世のすべての者がたどる道を行こうとしている。だが、あなたは強く、雄々しくありなさい。主の掟と戒め、法と定めを守りなさい。」(王上2:1~3)
復活の主は言う「あなたがたに平和があるように。父が私をお遣わしになったように、私もあなたがたを遣わす。」(ヨハネ20:21)
今日の新約聖書の御言葉は、イースターの日の夕方の出来事を伝えています。弟子たちがユダヤ人たちを恐れて、自分たちのいる家の戸に鍵をかけて閉じこもっていたときのことです。主イエスが来て真ん中に立ち、「あなた方に平和があるように」と言ってくださったのです。
弟子たちはユダヤ人たちを恐れた、と聖書に書いてあります。これは、単に自分たちも殺されるかも知れないという恐怖だけではなかったのではないかと思います。もちろんそれも大きかったと思いますが、それだけではないのではないか。すなわち、彼らはほんの数日前に主イエスを捨てて逃げています。ペトロは三度も繰り返してイエスとを知らないと言い放ちました。ユダヤ人たちは、自分たちの不誠実さや不信仰を知っています。それは単に恥ずかしいというだけではなくて、自分の罪の生き証人だということでもあります。ユダヤ人を恐れた弟子たちは、もしかしたら、主イエスのことも恐れていたのかも知れません。罪深くもイエスを裏切って捨てたからです。
しかし、主イエスは彼らのところに来て「あなたがたに平和があるように」と言いました。しかも「父が私をお遣わしになったように、私もあなた方を遣わす」とも。この言葉は、「私はあなた達を赦す」という意味と考えて間違いないと思います。あなた方に平和があるように。そう言って、主イエスは彼らに新しい使命を与えて、彼らを将来に向けて出発させました。キリストの平和は、福音を宣べ伝えるところでどんどん現実化していきます。
キリストは私たちをお遣わしになります。平和の使者、キリストの福音の使者として。私たちは、キリストに遣わされた場所へ、この一週間も出発していきます。
復活の主は言う「あなたがたに平和があるように。父が私をお遣わしになったように、私もあなたがたを遣わす。」(ヨハネ20:21)
今日の新約聖書の御言葉は、イースターの日の夕方の出来事を伝えています。弟子たちがユダヤ人たちを恐れて、自分たちのいる家の戸に鍵をかけて閉じこもっていたときのことです。主イエスが来て真ん中に立ち、「あなた方に平和があるように」と言ってくださったのです。
弟子たちはユダヤ人たちを恐れた、と聖書に書いてあります。これは、単に自分たちも殺されるかも知れないという恐怖だけではなかったのではないかと思います。もちろんそれも大きかったと思いますが、それだけではないのではないか。すなわち、彼らはほんの数日前に主イエスを捨てて逃げています。ペトロは三度も繰り返してイエスとを知らないと言い放ちました。ユダヤ人たちは、自分たちの不誠実さや不信仰を知っています。それは単に恥ずかしいというだけではなくて、自分の罪の生き証人だということでもあります。ユダヤ人を恐れた弟子たちは、もしかしたら、主イエスのことも恐れていたのかも知れません。罪深くもイエスを裏切って捨てたからです。
しかし、主イエスは彼らのところに来て「あなたがたに平和があるように」と言いました。しかも「父が私をお遣わしになったように、私もあなた方を遣わす」とも。この言葉は、「私はあなた達を赦す」という意味と考えて間違いないと思います。あなた方に平和があるように。そう言って、主イエスは彼らに新しい使命を与えて、彼らを将来に向けて出発させました。キリストの平和は、福音を宣べ伝えるところでどんどん現実化していきます。
キリストは私たちをお遣わしになります。平和の使者、キリストの福音の使者として。私たちは、キリストに遣わされた場所へ、この一週間も出発していきます。