2022年4月16日土曜日

2022年4月16日の聖句

私たちを生かしてください。私たちはあなたの名を呼び求めます。(詩編80:19)
キリスト・イエスは死を無力にし、福音を通して命と過ぎ行くことのない存在とを明らかに示してくださいました。(2テモテ1:10)

受難週の土曜日は、とても静かです。2000年前のこの日を弟子たちはどのような思いで過ごしていたのでしょうか。聖書の行間から推測されることは、恐らくペトロを初めとした11人は、このとき既に怯えながら部屋に閉じこもっていたであろう、ということ。そしてマグダラのマリアたちは安息日が明けたらすぐに主イエスのお墓へ行ってご遺体をきれいにして差し上げたいと、その時を待っていたのであろうこと。そのような様子を思い浮かべることができます。
この日の静けさは、死を前にした静けさです。愛する主イエスが十字架の上で殺された。自分も殺されるかも知れないし、愛する人の死を前に自分たちは無力でしかない。死の力の前で強いられた沈黙。それが、この土曜日の静けさです。
しかしこの土曜日の翌日、復活の朝が来ました。墓に行ったマグダラのマリアに、主イエスが出会ってくださいました。キリストの甦りの朝が来たのです。
「キリスト・イエスは死を無力にし、福音を通して命と過ぎ行くことのない存在とを明らかに示してくださいました。」
私たちは無力です。死を前にして最後は沈黙するしかありません。この肉体はやがて死んで滅びるし、霊も魂も滅びます。今生きるこの命はやがて無になって消えてしまう。人の記憶からも、しばらく経てば必ず消え失せます。ところが、キリスト・イエスが事態をまったく新しく変えてくださいました。私たちではなく、死を無力にしてくださいました。私たちの過ぎ行く命を、儚い私たちの存在を、神さまの御前に生きるものとしてくださいました。私たちは無力です。しかし、キリストはその私たちを救ってくださいます。
明日は復活の主日です。キリストの命の福音を目の当たりにします。そのためにキリストが裂いて与えてくださったお体にあずかります。キリストの命が、私たちの前に差し出されています。取って、これを頂きましょう。私たちのためのキリストの命そのものを。

2024年12月22日の聖句

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