2022年5月15日日曜日

2022年5月15日の聖句

主の名を呼ぶものは、救出される。(ヨエル3:5)
ペトロはイエスについて言う:この人による以外に救いはありません。私たちが救われるべき名は、天下にこの名のほか、人間には与えられていないのです。(使徒4:12)

聖書を通して私たちが知る神さまは、ご自分のお名前を教えてくださる方です。名前は、他のものと区別をするために使うものです。ですから、本来は相対的なものです。例えば、私は子どものことを名前で呼びます。しかし子どもたちは私のことを「宮井」だとか「岳彦」とは呼びません。父と呼びます。それは「父」といえば彼らにとっては私しかいないからです。私が子どもを名前で呼ぶのは、世界中にいるたくさんの子どもの誰でもなくあなたのことだよ、という意味です。しかし子どもにとって私は世界中の父親たちと比較されているのではなく、父と言えばこの人しかいない存在です。少なくとも、今のところは。
神さまと私たちとの関係は、その関係を比喩として考えることができと思います。神さまは神さまであって、特別な名前は必要ありません。他に神さまはいないのだから。別の神々と区別をする必要は、本当はないのです。ところが私たちの神さまはご自分の聖なるお名前を明らかにし、私たちに示してくださいました。私たちは新約聖書に従って、ただおひとりの神さまを「主イエス・キリストの父なる神様」とお呼びしています。神さまは私たちの前でご自分の名前を示し、私たちの相対的な世界の中に入ってきてくださいました。私たちがご自分を呼ぶことを喜んで受け入れてくださったのです。神さまを呼び求めることができる。それ自体が既に神さまの愛のしるしです。
今日の二つの御言葉は、どちらも神さまのお名前を呼ぶことの幸いを教えます。私たちは神さまをお呼びし、神さまに救って頂くことが許されています。神さまはそのことを喜んでくださいます。ですから、今日も神さまを呼び求めましょう。「主イエス・キリストを私たちに与えてくださった神さま!」と。どうか私を救ってください、どうか私を助けてください。ご自分に向かう私たちの祈りを、この方は決して聞き逃したり、無視したりすることはなさらないのです。
主イエス・キリストの恵み、神の愛、聖霊の交わりが、あなたがた一同と共にありますように。アーメン!

2024年4月18日の聖句

シオンに住む者よ、叫び声を上げて、喜び歌え。 イスラエルの聖なる方は、あなたのただ中にいます偉大な方。(イザヤ12:6) 言は肉となって、私たちの間に宿った。私たちはその栄光を見た。(ヨハネ1:14) 「イスラエルの聖なる方は、あなたのただ中にいます」と、聖書は言います。私たちの...