2022年5月18日水曜日

2022年5月18日の聖句

世界の基礎は主のもので、主はその上に地を据えられた。(サムエル上2:8)
はじめにことばがあった。このことばは神のもとにあった。神はこのことばであった。(ヨハネ1:1)

神は御言葉によって世界の基礎を据えました。神が「光あれ」と言われれば光があり、「大空あれ」と言われれば大空がありました。「世界の基礎は主のもの」。その基礎は、神さまの御言葉そのものです。神の言葉の上に、この世界のあらゆるものは存在しているのです。
ですから、世界は神の語りかけを待っています。この世界は神の言葉を待っている。神が光と闇を分け、命を生み出し、私たちを創造してくださった御言葉に向かって、私たち世界は開かれています。
「はじめにことばがあった。このことばは神のもとにあった。神はこのことばであった。」言葉として御自らを私たちに示し、私たちに関わってくださった神さま。このお方は、私たちを選んでご自分の言葉を語りかけてくださる。私たちは今その言葉を聖書を通して、主イエス・キリストを証言する言葉として聞いています。
聖書は、書かれた言葉です。考えてみれば、書かれたものを正典としているというのも興味深いことです。口伝えの伝承とか、神秘的な宗教体験とか、そういうものをもって神の言葉を聞くのではなく、書かれた文書を読むことを通して神さまの御言葉を聞いています。もしかしたら、厳しい修行の果てに到達できる神秘的な語りかけというほうが、ありがたくて神の言葉っぽかったのかもしれません。しかし神さまは不思議とそういう方法は採用なさいませんでした。書かれた言葉を通して、私たちに語りかけておられる。
それは、一つには、私たちに改ざんできないという意味があるのではないかと思います。私たちの都合の好いように聖書を書き換えることはできない。そして、聖書が私たちに与えられているというのは、私たちが孤独ではないということです。私たちは聖書が語るイエス・キリストの福音によって生かされ、この福音によって今生きる人生に送り出され、この福音によって隣人との間に神がおられることを知らされます。私たちは孤独ではない。聖書を開いて御言葉に聞き、この私を、そしてこの世界をも造ってくださった御言葉を今日も聞いて、一日の歩みに送り出されていきます。主イエス・キリストご自身が、神の言葉です。私たちを独りぼっちのまま放っておかず、私たちに語りかけてくださる神の愛の言葉、それがイエス・キリストなのです。

2024年4月26日の聖句

神を畏れ、その戒めを守れ。これこそ人間のすべてである。(コヘレト12:13) (イエスの言葉)「第一の戒めは、これである。『聞け、イスラエルよ。私たちの神である主は、唯一の主である。心を尽くし、魂を尽くし、思いを尽くし、力を尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。』第二の戒めは...