2022年6月7日火曜日

2022年6月7日の聖句

主に全き心で仕えよ。そして、逸れてはならない。すなわち、役にも立たず救うこともできない空しいものを求めて離れてはならないのだ。それは空しいものだから。(サムエル上12:20~21)
私に仕えようとする者は、私に従って来なさい。そうすれば、私のいる所に、私に仕える者もいることになる。(ヨハネ12:26)

主イエス・キリストのいるところに、主に仕えようとする者もいることになる。私に仕え、私に従って来るならば、と主は言われます。神さまが共にいてくださる、主イエスが共にいてくださるというのは、私たちの大好きな慰めの言葉です。しかしそれは安っぽくてありふれて恵みではありません。「私に仕えようとするの者は、私に従ってきなさい」と主イエスが言われるとおり、主に従い、主に仕える中で経験をすることです。インマヌエル、神は我々と共におられるというのは大安売りの恵みではなく、高価で貴い恵みです。実際に神に従うときに私たちはそれを経験するのです。
「主に全き心で仕えよ。そして、逸れてはならない。すなわち、役にも立たず救うこともできない空しいものを求めて離れてはならないのだ。それは空しいものだから。」主に仕えるというのは、逸れることなく主に仕えることだと言います。他の価値を神としない。この世には神のような顔をした神もどきがたくさんあります。みんなが礼賛していて、価値があるかのように思われているもの。しかしそれは空しいものだ、と神さまはおっしゃいます。空しいものを求めて生きても、私たちは幸せになることができない。それは空しいものに過ぎないからです。
私たちは主イエス・キリストに従う時、このお方が本当に私たちを救い、私たちのためにご自分の命までも与えてくださったことを知ります。私を生かす恵みを私たちは実感する。私たちは主に仕える時、私が仕えるのよりも先に、そしてもっと深く、キリストが私に仕えてくださったことを知ります。主イエス・キリストの恵みと祝福を、私たちは主に仕える時により深く知るのです。
キリストに仕え、キリストの恵みの中で生かされている幸いを、より深く味わいましょう。キリストは共にいてくださいます。私たちの仕えるキリストは空しい方ではなく、祝福に満ちた確かなお方です。

2024年4月26日の聖句

神を畏れ、その戒めを守れ。これこそ人間のすべてである。(コヘレト12:13) (イエスの言葉)「第一の戒めは、これである。『聞け、イスラエルよ。私たちの神である主は、唯一の主である。心を尽くし、魂を尽くし、思いを尽くし、力を尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。』第二の戒めは...