2022年7月24日日曜日

2022年7月24日の聖句

川とその流れは神の都に、いと高き方の聖なる住まいに喜びを与える。神はその中におられ、都が揺らぐことはない。(詩編46:5~6)
見よ、神の幕屋が人と共にあり、神が人と共に住み、人は神の民となる。神自ら人と共にいて、その神となる。(黙示録21:3)

私たちの救いが完成するとき、新しい天の都が私たちのもとに降りてくる、とヨハネの黙示録は語ります。この辺りはあまりにも私たちの想像を絶していて、ヨハネの書きぶりも非常に象徴的な言い回しと言うこともあり、一体どういうことになるのかよく分からないところが多いと思います。新しい天、新しいエルサレム。それがどんなにすばらしい場所なのか。それは、まだ誰にも分からない。完成の時を待つよりほかありません。既に地上の生涯を終えた者たちも、黙示録によれば、神を礼拝しつつ完成の時を待っているようです。
それがどういう場所なのかはよく分かりませんが、ただ一つ確かなことがあります。「神の幕屋が人と共にあり」と書かれています。荒れ野を旅する神の民の真ん中に、神の幕屋がありました。それは礼拝を献げる場所であり、神が語りかける場所でした。神の幕屋は、神が共におられるというしるしでした。新しい天の都には新しい幕屋がある。つまり、この新しい天の都においては、神さまは完全に私たちと共におられるということを意味します。「神が人と共に住み、人は神の民となる。神自ら人と共にいて、その神となる。」神さまは、私たちと共にいてくださる。それが救いの完成で起こる出来事です。完全に神は私たちと共におられる。その事実を使徒パウロは「私たちは、今は、鏡におぼろに映ったものを見ていますが、その時には、顔と顔とを合わせて見ることになります」と表現します。神さまと顔と顔とを合わせ、私たちは神を仰ぐことが許される日が来る。これが、聖書が語る救いの完成です。私たちは神の御前に進み出る。
神の都は私たちの安心・安全を満たす場所、私たちの欲望の充足ではなく、神さまに満たして頂かなくては癒やされることのない根源的な魂の渇きを癒やす場所です。私たちが神の御前に出る場所。神が私たちと共にいてくださり、御自ら私たちの神となり、私たちをご自分の民としてくださる場所です。この天の都を目指す旅路を、今日も私たちは歩んでいる。そして、礼拝はこの都の先取りに他ならないのです。

2025年4月4日の聖句

主は私たちを再び憐れみ、私たちの罪をことごとく、海の深みに投げ込まれる。(ミカ7:19) 私たちが自分の罪を告白するなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、あらゆる不正から清めてくださいます。(1ヨハネ1:9) なんてありがたい御言葉なのでしょうか。主は私たちを憐れんでく...