2022年7月25日月曜日

2022年7月25日の聖句

ダビデはその神、主を通して強くあることを知っていた。(サムエル上30:6)
使徒たちは主に言った。「私たちを信仰で強くしてください。」(ルカ17:5)

ダビデがまだ王になる前の話です。ダビデの先代であるサウル王はダビデに激しく嫉妬し、彼を憎んでいました。ダビデはサウルの臣下でしたが、もはやイスラエルにはいられなくなってしまいます。それで、ダビデは外国に逃れました。そしてペリシテというイスラエルにとっては宿敵と言える国に身を寄せ、この国のためにダビデも戦った。ペリシテの王はダビデにツィクラグという町を与えました。しかしやがて、ダビデはペリシテも追われることになる。そのようなことがあってダビデがツィクラグに戻ったときです。今度はアマレクというまた別の国の者たちがツィクラグに襲ってきた。ダビデが戻ると、既に町は火で焼かれ、たくさんの人々が捕虜として連れ去れてた後でした。ダビデ自身の妻や子どもも連れ去られていました。今日は30:6の後半が与えられた御言葉ですが、改めて前半から、聖書協会共同訳で見てみるとこのように書かれています。
「ダビデは非常な苦境に立たされた。というのも人々は皆、自分の息子、娘の子とで苦しみ、ダビデを石で打ち殺そうとまで言い出したからである。だがダビデはその神、主を信頼して揺るがなかった。」
ツィクラグの町の人々はダビデを憎みました。ダビデのせいで自分たちがこんな酷い目に遭っていると考えたからですこの厄介者のダビデを殺して、アマレクにお願いして捕虜になった家族を帰してもらおうと考えたとしても、不思議ではありません。しかし、ダビデは主を信頼し、揺るぎませんでした。どんな苦境の中にあっても、どんなにつらくても、主を信頼し続けました。ダビデはただ信仰によってのみ、立つことができたのです。果たして、ダビデはアマレク人を追跡し、捕虜やぶんどられたものを奪還することができました。それは、ただただ彼が主を信頼して立つことができたからということであって、それ以外の理由はないのです。
私たちは誰を信頼しているでしょうか。私たちは自分の弱さや身を取り巻く苦境のすさまじさや、どうすることもできない環境を信じてはいないでしょうか。神さまを信頼する以上に、不信仰を信じてしまってはいないでしょうか。ダビデはただ主だけを信頼した。それ以外には何もありませんでした。そして、他には何も必要なかったのでしょう。主を信頼する幸いに、私たちも招かれています。

2024年4月19日の聖句

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