2022年7月23日土曜日

2022年7月23日の聖句

うろたえてはならない。おののいてはならない。あなたが何をするにしても、そのすべてにおいて主、あなたの神があなたと共にいるからだ。(ヨシュア1:9)
それゆえ、私は、弱さ、侮辱、困窮、迫害、行き詰まりの中にあっても、キリストのために喜んでいます。なぜなら、私は、弱いときにこそ強いからです。(2コリント12:10)

今日の旧約聖書の御言葉は、主なる神さまがモーセの後継者であるヨシュアに語られた言葉です。モーセと民は40年間の荒れ野の旅を終え、遂に約束の地に入っていく。モーセはかねて主がおっしゃっていたとおり、約束の地を前にして死にました。ヨシュアがモーセの後のイスラエルの人々の指導者になりました。まさに今、ヨシュアと民は約束の地に入ろうとしています。しかし、そこには先住の人々がたくさんおり、まさにうろたえ、おののくような現実が目の前にあったのです。
神さまが与えてくださった恵み深くて新しい出来事を前にして、うろたえたりおののいたりしてしまう。とても個人的なことですが、一昨日、息子が10歳の誕生日を迎えました。10年前に初めて親になったときも、あるいは二人目や三人目の子が与えられたときも、やはり、本当に嬉しい神さまの恵みの贈り物でありながら、同時にうろたえやおののきを呼び起こす出来事でもあります。ヨシュアは、そうした中で約束の地に向かって一歩足を踏み入れ、進んで行くことを神に命じられたのです。
これに対し、新約聖書のコリントの信徒への手紙で、使徒パウロは「私は、弱いときにこそ強い」と言っています。自分は弱い。サタンから送られた使いによる刺が自分の肉体に食い込んでいる。弱さ、侮辱、困窮、迫害、行き詰まりとも言っていますが、パウロ自身の内的な弱さも、パウロの外から来る外的な困難も、あらゆる痛みがパウロを襲っていました。しかし、「私は、弱いときこそ強い」とパウロが言い得たのは、神の恵みが私の弱さの中で働いていることを知っていたし、そのことを信じていたからです。神の恵みによって、私は弱くても強い。
私たちを生かすのは神の恵みです。私たちにうろたえやおののきを呼び起こすような外形的な事情があるときにも、やはり神の恵みが私たちを生かします。「神の」恵みであることがポイントです。神が与えてくださったものとして目の前のことを受け止めなおすとき、私たちは私たちに力を与え、生かし、今立たせてくださっている神がおられることに気づくのです。

2024年4月20日の聖句

私は必ずあなたを助け出す。剣に倒れることはない。あなたの命はあなたの戦利品となる。あなたが私を信頼したからであるーー主の仰せ。(エレミヤ39:18) イエスはその犯罪人に、「よく言っておくが、あなたは今日私と一緒に楽園にいる」と言われた。(ルカ23:43) 主イエスが十字架の上で...