2022年8月11日木曜日

2022年8月11日の聖句

主を愛せ、すべての主のものたちよ。(詩編31:24)
こういうわけで、いつまでも残るものは信仰と希望と愛、これら三つです。その中で一番すぐれているものは愛です。(1コリント13:13)

8月は子どもたちが夏休みで、我が家にも、基本的に毎日子どもが家にいます。昔、まだ私が学生のころ、教会におられた子育て中のキリスト者の方が、お子さんの夏休みを迎えるときに「試みの40日間」と言っておられました。あの方のユーモアと共に、この季節になるとよく思い出す言葉です。つくづく思わされるのは、子どもだけではなくて親であっても夫婦であっても、あるいは家族ではない他の人でも誰でも同じですが、人間にとっていちばん大切なのは、愛情に溢れた関係なのだと思わされます。例の「試みの40日間」の方がときおりおっしゃっていたのですは、子どもはご飯だけ与えていれば育つわけではない、ということでした。ご飯に代表される生活の世話をしていれば勝手に育っていくわけではない。愛情を注がなければ育たない、ということだと思います。どのような関係でも、一番大切なのは愛情です。
他の誰よりも先に、神さまは私たちを愛してくださいました。私たちのために御子までも与えてくださいました。神さまは私たちが生きるために必要な「ご飯」に代表されるあらゆるものを準備し、与えてくださいますが、それだけでは生きられない私たちのために、ありとあらゆる愛を注いでくださっています。「人はパンのみによって生きるのではなく、神の口から出る一つひとつの言葉によって生きる」と書いてあるとおり、神さまは愛の言葉によって私たちを養ってくださいます。
だからこそ、神さまは私たちの愛をお求めになります。私たちが御利益や自分の損得を考えてお供えをすることではなく、かたちや見栄えばかり整えた供物を持ち出すことではなく、ご自分への私たちの愛を求めておられます。「主を愛せ、すべて主のものたちよ」というのは、至言です。まさに愛を、主なる神さまは求めておられるのです。ここで「主のものたちよ」と呼ばれています。私たちも、主のお名前で呼ばれています。キリスト者。それは、キリストのものということです。主のものでありキリストの者である私たちに神さまが求めておられるのは、主を愛せという一点に尽きるのです。
まさに愛するということにおいて失敗を重ねる私たちです。だからこそ夏休みは試みの40日ですし、育児だけではなく介護や家事での家族の世話も、他のあらゆる人間関係も、愛の試練ではないでしょうか。しかし愛ほど高貴で偉大なものはありません。私たちは光栄なことに、この世界で最も尊い試みをいただいている。そして、その試みは主イエス・キリストが伴ってくださる価値ある試練に他ならないのです。

2024年4月24日の聖句

恐れるな、もはや恥を受けることはないから。(イザヤ54:4) 天使は女たちに言った。「恐れることはない。十字架につけられたイエスを捜しているのだろうが、あの方は、ここにはおられない。復活なさったのだ。」(マタイ28:5~6) 「あの方は、ここにはおられない。」最初のイースターの朝...