2022年10月10日月曜日

2022年10月10日の聖句

私の戒めを守り行いなさい。私は主である。(レビ記22:31)
あなたはこの世で星のように輝き、命の言葉をしっかり保つでしょう。(フィリピ2:15~16)

今日、私たちに与えられているこれら二つの御言葉は、なぜこの二つなのかなと思わせるのではないでしょうか。なぜ、この二つが一つに組み合わされているのでしょうか。
「私の戒めを守り行いなさい」と言っています。主なる神さまの命令です。私たちは、ファリサイ派の人たちへの悪いイメージばかりが先行してしまって、戒めとか掟とか命令とかそういうものに、もしかしたらアレルギーがあるかも知れません。しかし、この「私の戒めを守り行いなさい」という言葉に続いて、「私は主である」とあるように、私たちが主なる神さまを信じ、神さまの民であるという事実と、この方の戒めを守り行うということとは不可分のことです。
例えば、一人の女性の夫になれば他の女性とは関係を持たない。この人の夫になったという自分の新しいアイデンティティが定める新しい生き方がある。一人の赤ちゃんの親になれば、新しい自分の生き方が生じます。それまでの自分とは生き方が変わる。新しい関係が新しい生き方を生みます。主なる神様と出会い、この方を信じ、この神さまの民となれば、その新しい関係が生み出す生き方がある。それは、先ほどの夫婦や親子に見られる関係でも分かるとおり、その新しさは本来は喜ばしい生き方であるはずです。新しい私の新しい生き方。主の戒めは、そのガイドラインです。
「あなたはこの世で星のように輝き、命の言葉をしっかり保つでしょう。」命の言葉、と言っています。神さまの戒めも、福音も、すべて命の言葉です。私たちを愛し、私たちを罪から救ってくださった主なる神さまの言葉だから。この方と新しい関係を生み出す言葉だから。「戒め」と聞いて窮屈に感じるのは、私たちの悪いイメージを押しつけているだけではないでしょうか。キリストの言葉は私たちにとっては星の輝きのように麗しく、尊いものです。私たちを新しくし、神さまの美しさに似せてくださる宝の御言葉なのです。
今日も、主は私たちに語りかけてくださっています。

2024年3月29日の聖句

ヤコブは、神が自分と語られた場所をベテル(神の家)と名付けた。(創世記35:15) 百人隊長や一緒にイエスの見張りをしていた人たちは、自身やいろいろの出来事を見て、非常に恐れ、「まことに、この人は神の子だった」と言った。(マタイ27:54) 神が自分と語られた場所をベテル(神の家...