2022年10月30日日曜日

2022年10月30日の聖句

神である主は太陽、盾。(詩編84:12)
イエスは弟子たちに言われた。「あなたたちは何を怖がるのか。まだ信仰がないのか。」(マルコ4:40)

主、私たちの神さま。このお方こそ、私たちを照らす太陽。私たちをあらゆる災いから守る盾。私は一体誰を恐れよう。この詩編第84編の祈りの言葉を生み出した最初の信仰者も、そして私たちも、同じように信じています。「神である主は太陽、盾。」
この夏からずっと、統一協会を巡るニュースが報じられています。教会と名乗りながら、とても自分勝手に聖書を解釈し、いろいろな人を傷つけてきた団体です。私たちの信仰とは明確に異なる。しかし、それでもやはり、本当に悲しいことに、キリスト教会が生み出してしまったカルトでもあります。断罪して無関係だと言って済む話でもないと思います。とても難しくて、簡単ではない問題なのだと思います。
彼らの教えの誤りをいろいろと指摘することもできるのでしょうが、今日私たちはこのことを覚えたいと思います。「神である主は太陽、盾。」御言葉はそのように語りかけています。神さまは私たちを太陽のように、あるいはそれ以上に明るく、そして永遠に、照らしてくださる方です。温めてくださる方です。私たちが生きる時代が夜の時代であったとしても、主なる神さまという太陽は私たちを照らし続け、温め、私たちを救いの喜びに導いてくださいます。この光の喜びこそ、大切なことではないでしょうか。私たちは主を愛する喜び、そしてそれ以上に、主に愛される喜びをいただいて生きています。主が私の盾になってくださったから。私にはもはや恐れるものはない。
主がくださっている喜びが、神さまの愛のもたらす望みが、曲がってしまうことなくすべての人に届けられますように。心からそう祈ります。
私たちは、ただ神の恵みによってだけ、それだけの理由で救われました。だからこそ、私たちは祈ります。この世界のために。この世界で、神の真実の愛を求めてあえいでいるたくさんの人たちのために。私たちの太陽でいてくださる方が、この世を照らしてくださいますように。私たちを試みに遭わせず、悪いものから救ってくださいますように。

2024年3月29日の聖句

ヤコブは、神が自分と語られた場所をベテル(神の家)と名付けた。(創世記35:15) 百人隊長や一緒にイエスの見張りをしていた人たちは、自身やいろいろの出来事を見て、非常に恐れ、「まことに、この人は神の子だった」と言った。(マタイ27:54) 神が自分と語られた場所をベテル(神の家...