2022年10月6日木曜日

2022年10月6日の聖句

主の道はまっすぐで、正しき者はそこを歩む。だが、背く者はそこにつまずく。(ホセア14:10)
あなたがたがそうしているように、互いに語り合い、築き合いなさい。(1テサロニケ5:11)

今日の旧約聖書の御言葉は、とても不思議な言葉だなと思います。「主の道はまっすぐで、正しき者はそこを歩む。だが、背く者はそこにつまずく。」この最後のところで「背く者はそこにつまずく」とあります。「そこ」というのは、文脈上、まっすぐな主の道のことだろうと思います。そうとすると、まっすぐな道につまずくということになってしまいます。もちろん、いくらまっすぐでもデコボコで、整備されておらずとても歩きにくいからつまずいてしまうということもあるかも知れません。しかしその道は「正しき者はそこを歩む」と言っているのですから、決して悪い道ということではないはずです。まっすぐな道、本当なら歩きやすい道であるはずなのに、そこでつまずいてしまう。なぜか。彼らは「背く者」だからだ、と聖書は言っています。
とてもよく似た話を主イエスがなさっています。「狭い門から入りなさい。滅びに至る門は大きく、その道も広い。そして、そこから入る者は多い。命に通じる門は狭く、その道も細い。そして、それを見いだす者は少ない。(マタイ7:13~14)」命に至る道であるはずなのに、その道は狭く、その門は狭いので、それを見いださない人が多いと言うのです。しかし主イエスとしては、命に至る門から入り、その道を歩いてほしいという心から思いを込めて語り続けてきたに違いありません。それなのに、人々はそれを無視し続け、耳を貸さなかった。そうすると、その人にとって、主イエスの示す門はどんどん狭くなり、その道は細く、みすぼらしくなってしまった、ということなのかも知れません。
しかし、聖書は私たちを招きます。「あなたがたがそうしているように、互いに語り合い、築き合いなさい。」互いに語り合うこと、互いを築き上げること。そうやって隣人のために生きるとき、私たちはまっすぐな主の道を歩き始めます。そして何よりも、私たちを招くキリストの愛に顔を上げるとき、あるいは顔を上げることもできない私にキリストの憐れみが注がれていることに気づくとき、私たちはすでにまっすぐな主の道を歩き始めています。今日、キリストはあなたをご自身の道へ招いておられます。

2024年4月25日の聖句

救いは主のもの。 あなたの民の上に祝福を。(詩編3:9) イエスは手を上げて彼らを祝福された。(ルカ24:50) 主イエス・キリストは復活して40日間弟子たちと共におられ、その後、天に昇って行かれました。その時、主イエスは手を上げて弟子たちを祝福し、その恰好のままで天に上げられて...