2022年12月13日火曜日

2022年12月13日の聖句

あなたがたの神、主を試してはならない。(申命記6:16)
思い違いをしてはなりません。神は侮られるような方ではありません。人は、自分の蒔いたものを、また刈り取ることになるのです。(ガラテヤ6:7)

主イエスのところに悪魔がやって来て誘惑したとき、悪魔は神殿の屋根に連れて行って言いました。「神の子なら、飛び降りたらどうだ。『神があなたのために天使たちに命じると、あなたの足が石に打ち当たることのないように、天使たちは手であなたを支えると書いてある。』」すると主は悪魔に答えます。「『あなたの神である主を試してはならない』とも書いてある。」聖書の御言葉を利用した悪魔の誘惑を、主は、その急所は神を試すところにあると見抜き、拒みました。
「あなたがたの神、主を試してはならない。」今日、私たちに与えられている御言葉はこれです。そして、神を試すことは「思い違いだ」と新約聖書の御言葉は言います。そして、それは神を侮っていることに他ならないと言います。私たちの身近な人間関係に譬えても、それはよく分かります。夫が妻の愛を試す。あるいは、その逆。わざとしたことに相手がどう反応するかを試す。愛を試すというのは相手に対してとても失礼です。相手の愛を試したところで問われるのは、試しているあなたの愛はどこにあるのか、ということでしょう。相手を侮っている。
神を試さないというのは、言葉を換えれば、神の愛を信頼するということです。私たちが神の愛を信頼する根拠は、主イエス・キリストに他ならない。キリストが飼い葉桶に生まれ、貧しい人に福音を告げ知らせ、罪人の一人に数えられて十字架にかけられた。そこに現れた神のへりくだりと愛。これ以上に確かなことはありません。私たちには、神の愛を疑いたくなるようなことはいくらでも起こります。分からなくなってしまうことはたくさんあります。しかしそのようなとき、私たちは、疑いに自分の心を任せてしまうのではなく、十字架のキリストを信頼しましょう。飼い葉桶に現れた神の愛を信頼しましょう。今日、このキリストの慈しみが、何よりも確かに私たちを支えてくださいます。それは、何よりも確かなことです。

2024年4月19日の聖句

ノアは、すべて神が命じられたとおりに果たした。(創世記6:22) (イエスの言葉)「私のこれらの言葉を聞いて行う者は皆、岩の上に自分の家を建てた賢い人に似ている。」(マタイ7:24) 風水害や地震などの自然災害の多い場所に住んでいると、今日の主イエスの言葉はよく分かります。「岩の...