2023年1月12日木曜日

2023年1月12日の聖句

さて、イスラエルよ。主、あなたの神がなお、あなたに求めていることは何か。あなたの神、主を畏れること、主の道すべてを歩むこと、主を愛すること、あなたの神、主に対して心を尽くして、いのちを尽くして仕えることではないか。(申命記10:12)
しかし、だれでも神のことばを守っているなら、その人のうちには神の愛が確かに全うされているのです。(1ヨハネ2:5)

主なる神さまが私たちに求めておられることは何かと問い、このように言います。「あなたの神、主を畏れること、主の道すべてを歩むこと、主を愛すること、あなたの神、主に対して心を尽くして、いのちを尽くして仕えることではないか。」主イエスご自身も、ある人が最も重要な律法は何かと問うたとき、主なる神さまを愛することと、隣人を自分のように愛することだとお教えになりました。神さまは一貫して私たちの愛をお求めになるお方です。私たちの愛をお求めになるというのは、神様ご自身が私たちを愛しておられるからです。
今日の申命記の御言葉は直後の13節に直結しています。聖書協会共同訳で、12節の最後から見てみるとこのようになっています。「主に、心を尽くし、魂を尽くして仕え、私が今日あなたに命じる主の戒めと掟を守って、あなたが幸せになることではないか。」ここにある「主の戒めと掟を守って」というのは、それをすればご褒美に幸せになれますということではなくて、主が語られる戒めと掟、そこに私たちが幸せに生きるためのガイドラインがあるということです。神さまの私たちへの御心は、私たちが幸せになることです。申命記に記された戒めと掟にその道が示されている。私たちの幸せを望む神さまは、私たちを愛していてくださいます。
今日の新約聖書の御言葉も、同じイメージを私たちに与えます。「だれでも神のことばを守っているなら、その人のうちには神の愛が確かに全うされているのです。」そして、ヨハネの手紙を読んでみると、神さまの言葉、神さまが私たちに命じておられること、神の戒めとは、私たちが互いに愛し合うことです。私たちがキリストにあって互いを愛し合い、仕え合うとき、そこに神の愛が全うされている。聖書はそう言います。
神を愛し、私たちが互いに愛し合うとき、私たちは幸せになることができる。それが聖書のメッセージです。しかしそれは何と難しいことでしょう。そうであるからこそ、キリストが私たちの間に来てくださいました。私たちの前にキリストが屈んで足を洗ってくださいました。神は私たちに独り子を与えることで愛を全うしてくださいました。このお方の愛が、私たちに幸せをもたらしてくださいます。

2025年4月3日の聖句

わたしの民は二つの悪を行った。いのちの水の泉であるわたしを捨て、多くの水溜を自分たちのために掘ったのだ。水を溜めることのできない、壊れた水溜を。(エレミヤ2:13) (イエスの言葉)私が与える水を飲む者は決して渇かない。私が与える水はその人の内で泉となり、永遠の命に至る水が湧き出...