2023年2月14日火曜日

2023年2月14日の聖句

それでも神は、清い心を持つすべての人々に向けられた、イスラエルの慰め。(詩編73:1)
心の清い人々は、幸いである。その人たちは神を見る。(マタイ5:8)

イスラエル、すなわち神の民。私たちのことです。私たちの慰め、それは神様ご自身です。神様こそが私たちの慰め。「それでも神は、清い心を持つすべての人々に向けられた、イスラエルの慰め。」神様が何かをしてくださるからとか、自分にとってどういう御利益があるからとか、そういうことではない。神様ご自身が私たちの慰めだと言うのです。本当にすばらしい言葉です。これこそ真理です。
聖書はそういう信仰に生きたたくさんの人たちの証言の書です。例えば使徒パウロです。彼はこのように言います。「それで今や、私たちはキリストの血によって義とされたのですから、キリストによって神の怒りから救われるのはなおさらのことです。敵であったときさえ、御子の死によって神と和解させて頂いたのであれば、和解させていただいた今は、御子の命によって救われるのはなおさらです。それだけでなく、私たちの主イエス・キリストによって、私たちは神を誇りとしています。このキリストを通して、今や和解させていただいたからです。」パウロは神を誇っている。神を喜んでいる。主イエス・キリストを慰めとしている。なぜか。キリストが私を神と和解させてくださったから。
そうとすると、最初に私は神様が何をしてくださるからとか、どういう御利益があるからということではなくと言いましたが、そうではありませんでした。キリストはこれ以上ない「御利益」を私に下さった。私を神と和解させてくださった。私を神につなげてくださったのです。だから、私はキリストを慰めとし、神を喜んで今生きている。
「心の清い人々は、幸いである。その人たちは神を見る。」主イエス・キリストは言われます。心の清い人々、それはただ純粋に神にだけ向かう人です。キリストを単純に信じる人です。キリストを喜び、キリストを慰めとする。その人は神を見る。神はご自分を信じる者に、ご自分を現してくださる。この最高の幸せに、私たちは今日招かれています。

2024年4月24日の聖句

恐れるな、もはや恥を受けることはないから。(イザヤ54:4) 天使は女たちに言った。「恐れることはない。十字架につけられたイエスを捜しているのだろうが、あの方は、ここにはおられない。復活なさったのだ。」(マタイ28:5~6) 「あの方は、ここにはおられない。」最初のイースターの朝...