2023年2月21日火曜日

2023年2月21日の聖句

ダビデは主に言った。「私は、このようなことをして、大きな罪を犯しました。主よ、今、このしもべの咎を取り去ってください。」(サムエル記下24:10)
私たちが自分の罪を告白するなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、あらゆる不正から清めてくださいます。(1ヨハネ1:9)

今日の旧約聖書の御言葉はダビデ王の祈りの言葉です。「大きな罪を犯しました」と言っていますが、何をしたのでしょうか。ダビデは、イスラエルとユダの人口調査をした。彼は司令官ヨアブに命じます。「ダンからベエル・シェバに至るまでイスラエルの全ての部族の間を巡り、民の人口を調べ、私に民の数を知らせなさい。」ところがそれを聞いてヨアブは「王様はなぜ、このようなことを望まれるのですか」と言って、一度王をいさめてこの命令を思いとどまらせようとしました。しかし、「ヨアブと将軍たちに対する王の命令は厳しかったので」、ヨアブらは民の調査に向かった、と聖書に書かれています。そして調査の結果、イスラエルに80万人、ユダには50万人の兵役に就くことのできる者がいると明らかになった。だが、民を数えたことはダビデにとって良心の呵責となり、冒頭の悔い改めの祈りが出てきたのです。「私は、このようなことをして、大きな罪を犯しました。主よ、今、このしもべの咎を取り去ってください。」
人口調査の一体何がいけないのでしょうか。なぜ、それが悔い改めなければならない罪なのでしょうか。そして実際、この祈りの後、神からの裁きが告げられることになっていきます。事実として、神の御目にも適わないことだった。なぜでしょうか。
その理由は直接ここには書かれていません。もしかしたら、人口調査をするというのはダビデにとっては民が神のものであるということを忘れ、自分のもののように考えるということだったのかも知れません。金勘定をするように民の人数を測った。そこにダビデの罪が潜んでいたのかも知れない。
私たちが自分が何かをするとき、間違っていると分かっていてしてしまうこともありますが、それと気づかずにしてしまうこともあります。自分で自分の罪に気づけないことも多いのです。しかしそれに気づいたとき、神様は私たちがダビデのようにその罪を告白し、悔い改めることを待っておられます。「私たちが自分の罪を告白するなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、あらゆる不正から清めてくださいます。」
ダビデはこの他にもたくさんの過ちを犯してきました。取り返しのつかないこともたくさんありました。それでも、ダビデは悔い改める人でした。神様の御許に立ち帰る人でした。それがダビデという人の信仰でした。私たちは罪を犯さない完璧な人間になることを求められているのではなく、罪人を招くキリストの御許に帰るように、招かれています。

2024年3月29日の聖句

ヤコブは、神が自分と語られた場所をベテル(神の家)と名付けた。(創世記35:15) 百人隊長や一緒にイエスの見張りをしていた人たちは、自身やいろいろの出来事を見て、非常に恐れ、「まことに、この人は神の子だった」と言った。(マタイ27:54) 神が自分と語られた場所をベテル(神の家...