2023年3月14日火曜日

2023年3月14日の聖句

私はすべての国と諸言語の民とを集めるために来る。彼らは来て、私の栄光を見る。(イザヤ66:18)
「闇から光が輝き出よ」と命じられた神は、わたしたちの心の内に輝いて、イエス・キリストの御顔に輝く神の栄光を悟る光を与えてくださいました。(2コリント4:6)

今日の新約聖書の御言葉には「光」という漢字が何度も登場してきています。「栄光」というのは、日本語では「栄える」という字に「光」という字で表しますが、当然、漢字を使わない言語では別の言い方をするわけで、必ずしも光と関係があるということではないとも思います。しかしやはり「栄光」という言葉が言い表している事柄は、光に満ちたものであるのではないかと思います。神様の栄光と言ったとき、そこには神の輝き出るすばらしさが言い表されているに違いありません。
ですから、「イエス・キリストの御顔に輝く神の栄光を悟る光」という表現がとても面白いと思います。栄光というキリストの御顔に輝く光を私たちが悟るための光、というのです。私たちの礼拝でも、聖書を読む前に聖霊の照らしを求める祈りというのを献げます。英語の式次第を見ると、この「照らし」という言葉はイルミネーションという単語で表されている。まさに光で明るく照らしてください、という祈りです。この光は聖霊の光です。聖霊なる神様が私を照らしてくださり、キリストの御顔の光、神の御栄光を悟らせてくださる。私たちは光の中で光を知るのです。この光は、すべて神の御許から照らされています。
「私はすべての国と諸言語の民とを集めるために来る。彼らは来て、私の栄光を見る。」この「諸言語」という言葉がいいなと思います。人間、言語が違うと物の考え方の枠組みが全然違います。日本人の多くが曖昧さに人間関係の機微を見出すことと、日本語の言語構造とは無関係ではないと思います。他の言語でも、さまざまな形でそういった傾向性はあると思います。しかしどのような言語であっても、あるいは文化や歴史であっても、すべての人が神の栄光を見る。神の栄光という光の中にいる。キリストの御顔の光に照らされている。聖霊の光の中で神を仰いでいる。神様ご自身が、そうやってご自身の光で照らしてくださっています。主なる神様の光に照らされているこの事実の中で、主の光の中を歩んでいきたいと願います。

2024年3月28日の聖句

正義は国を高める。罪は民の恥となる。(箴言14:34) イエスはそこを出て、いつものようにオリーブ山に行かれると、弟子たちも従った。目的の場所に来ると、イエスは弟子たちに、「誘惑に陥らないように祈りなさい」と言われた。(ルカ22:39~40) 主イエス・キリストは、この夜も「いつ...