2023年3月15日水曜日

2023年3月15日の聖句

主の慈しみは私たちに力強く、主のまことはとこしえに絶えることがない。ハレルヤ。(詩編117:2)
私たちの主イエス・キリストの父なる神、慈しみ深い父、慰めに満ちた神がほめたたえられますように。(2コリント1:3)

大切な人に手紙を書くとき、どうやってその手紙を書き出そうかいろいろと思いあぐねます。時候の挨拶をしたり、相手の安否を気遣ったりという一見すると定型句にすぎないような言葉も実は決まり文句ではなく、それを受け取った相手がどう思うのか、いろいろなことを考えながらひと言ひと言を丁寧に書いていくのではないでしょうか。
使徒パウロの書いたこの手紙は、今日の箇所に先立つ2節での読み手への祝福、そして今日の御言葉である3節での神への賛美から始まっています。「私たちの主イエス・キリストの父なる神、慈しみ深い父、慰めに満ちた神がほめたたえられますように。」パウロが何よりも先に手紙の読み手と共有したかったのは、神を賛美する心だったのではないでしょうか。
しかもこの賛美は、主イエス・キリストの父なる神への賛美です。その父であるお方を「慈しみ深い父」さらに「慰めに満ちた神」とお呼びしています。神様は慈しみ深いお方です。私たちをあらゆる苦難の中で見捨てることなく、他の誰よりも私たちの側近くにいてくださるお方です。この「慰め」という言葉は、「隣で語りかける」という字を書きます。神様は苦難の中で私たちから遠く離れておられるのではなく、私たちの隣りにいて、御言葉を語りかけてくださる方。
それはまさに主イエス・キリストのお姿そのものです。キリストは私たちのところにまで来てくださいました。キリストは私たちのところへ降りてきてくださいました。私たちの苦難を共有するためです。このキリストが、今日も共にいてくださいます。このお方がほめたたえられますように。そして私たちの一日が、このキリストをお迎えする喜びと慰めに満ちたものでありますように。

2024年4月24日の聖句

恐れるな、もはや恥を受けることはないから。(イザヤ54:4) 天使は女たちに言った。「恐れることはない。十字架につけられたイエスを捜しているのだろうが、あの方は、ここにはおられない。復活なさったのだ。」(マタイ28:5~6) 「あの方は、ここにはおられない。」最初のイースターの朝...