2023年3月9日木曜日

2023年3月9日の聖句

あなたの神、主は、あなたと共におられたので、あなたは何一つ不足しなかった。(申命記2:7)
(イエスが弟子たちに尋ねた言葉)「財布も袋も履物も持たずにあなたがたを遣わしたとき、何か不足したものがあったか。」彼らが「いいえ、何もありませんでした」と言った。(ルカ22:35)

主イエスはご自分の弟子たちを、財布も袋も履物も持たせずにお遣わしになった。路銀もない。着替えや他の荷物を入れるための袋もない。履物の換えもない。ちょっとそこまで散歩にでも行くような恰好です。もしもそんな出で立ちで出かけて行って困ってしまったら、周りに人からはあまりにも準備不足だと叱られてしまいそうです。しかし主イエスは、財布も袋も履物も持たずに出かけて行って不足はなかったはずだとおっしゃるのです。そして、弟子たちは事実その通りでしたと答えている。
これは私たちにとってはかなりチャレンジングな言葉です。「そうは言っても、文字通りに何も持たないわけにはいかない」と留保をつけたくなる言葉です。ただ、私たちが聖書を読んで知らされるのは、主イエスご自身がまさにそういう出で立ちで私たちの前に来てくださったと言うことです。主イエスは貯金をお持ちではなかったし、おしゃれを楽しんだという様子もうかがえません。着の身着のままで私たちの前に来られた。贅沢は敵だ、という話ではありません。ご自身を生かしてくださる神様への完全な信頼に生きておられた。それが主イエスのお姿ではないでしょうか。
主イエスは、私たちが本気でご自分を信じることを求めておられるのではないでしょうか。ところが私はそう言われると怯んでしまいます。たじろいでしまいます。そこに私の罪があるのだと思います。主は私に、子どものように混じりけなしに神を信頼すること、自分の身を委ねることを望んでおられるのだと思います。そして、主への全き信頼に生きる幸いに私を招いておられるのだと思います。
「我らの日用の糧を、今日も与えたまえ。」今度の日曜日に聞くこの御言葉は、このような神様への全き信頼を私たちに培う祈りなのだと思います。必ず主がわたしを養ってくださる。主はその信仰を、私にもお与えくださる。そのこと自体もまた、信ずべきことなのです。

2024年3月29日の聖句

ヤコブは、神が自分と語られた場所をベテル(神の家)と名付けた。(創世記35:15) 百人隊長や一緒にイエスの見張りをしていた人たちは、自身やいろいろの出来事を見て、非常に恐れ、「まことに、この人は神の子だった」と言った。(マタイ27:54) 神が自分と語られた場所をベテル(神の家...