2023年4月24日月曜日

2023年4月24日の聖句

私の魂は主を待ち望みます。夜回りが朝を待ち望むのにまさって。(詩編130:6)
神の愛のうちに自分自身を保ち、永遠のいのちに導く、私たちの主イエス・キリストのあわれみを待ち望みなさい。(ユダ21)

夜回りは、兵士たちの中で夜起き、敵の夜襲に備えます。暗闇に乗じて敵が忍び込んでこないか、襲ってこないか、緊張しながら見張っていることでしょう。夜明けの少しずつ白み明るくなっていく空は、夜回りにとっては救いの光のように見えると思います。今夜も無事に生き延びることができた。私も、他の皆も。
「私の魂は主を待ち望みます。夜回りが朝を待ち望むのにまさって。」主なる神を、私は待ち望む。しかも、私の魂が待ち望む。自分という存在の深みから、自分という人間の根底から、主なる神を待ち望む。渇いた喉のようにカサカサになって、弱り切った私は、しかし主を待ち望んでいる。夜回りが朝を待ち望むのにまさって。切に、朝の光を待ち望むようにして、主を待ち望む。救いの主、私を訪れてくださるお方を。
今日の新約聖書の御言葉はユダの手紙の一節です。著者ユダはイスカリオテのユダではなく「主の兄弟」と言われる人物です。その手紙の中で、このように言われています。「神の愛のうちに自分自身を保ち、永遠のいのちに導く、私たちの主イエス・キリストのあわれみを待ち望みなさい。」神の愛のうちに自分自身を保つ、というのはとってもすてきな言葉です。自分を一体どこに見出し、保つのか。神の愛のうちに他ならない。そこにいれば、何があっても絶対大丈夫です。何しろ神様の愛の中なのです。私たちの主イエス・キリストの憐れみは、私たちを永遠のいのちに導いてくださる。私たちはキリストの憐れみを味わい、楽しみ、神の愛のうちに憩うことが許されている。
この神の救いを味わいつつ、また待ち望みつつ、今日の私たちの祈りの歩みが始まります。主イエス・キリストの祝福と恵みが、今日もあなたと共にありますように。

2025年2月5日の聖句

(神の僕の言葉)私は打とうとする者には背中を差し出し、ひげを抜こうとする者には頬を差し出した。辱めと唾から私は顔を隠さなかった。(イザヤ書50:6) (イエスの言葉)友のために命を捨てる者ほど、大きな愛をもつ者はいない。(ヨハネ15:13) 私は鞭で打たれたことはありませんが、厭...