神々の神、主は語りかけ、日の出る所から日の沈む所まで、地に呼びかける。(詩編50:1)
神の国は、目に見える形で来るものではありません。「見よ、ここだ」とか、「あそこだ」とか言えるものではありません。見なさい。神の国はあなたがたのただ中にあるのです。(ルカ17:20~21)
「見なさい。神の国はあなたがたのただ中にあるのです。」すごい言葉です。そして、ありがたい言葉です。神の国はあなたがた、即ち私たちのただ中にある!私たちは、神の国を探してどこかの聖地へ巡礼する必要がありません。神の国にたどり着くために高い山に登る必要も、地の果てまで行く必要もない。神の国は私たちのただ中に。
神の国は、目に見える形で来るものではありません。「見よ、ここだ」とか、「あそこだ」とか言えるものではありません。見なさい。神の国はあなたがたのただ中にあるのです。(ルカ17:20~21)
「見なさい。神の国はあなたがたのただ中にあるのです。」すごい言葉です。そして、ありがたい言葉です。神の国はあなたがた、即ち私たちのただ中にある!私たちは、神の国を探してどこかの聖地へ巡礼する必要がありません。神の国にたどり着くために高い山に登る必要も、地の果てまで行く必要もない。神の国は私たちのただ中に。
ただし、主イエスは「神の国はあなたの心の中にある」とはおっしゃいませんでした。「あなたがたのただ中に」。神の国はある、私とあなたのただ中に。主イエスは私たちを、独りぼっちで、孤独に救おうとはなさいません。私たちが共に生き、共にキリストを仰ぐそのただ中に神の国を来たらせてくださいます。私たちが一つのキリストの体として共に生きることこそが私たちの救いです。神の国は私たちの間にあるからです。
明日は日曜日です。教会は主の日の礼拝を献げます。「教会」は、ギリシア語ではエクレーシアと言います。「呼び出す」という意味の言葉です。神に呼び出された者たち、神に呼び集められた者たち。その人たちが共同で神を礼拝する。私たちは共に生きることで神の国を生きている。
「神々の神、主は語りかけ、日の出る所から日の沈む所まで、地に呼びかける。」この詩編の言葉で最初に祈った信仰者は、まさか、こんな地の果てで、何千年も経った後に、同じ神さまの語りかけを聞くものがいるだなんて考えてもみなかっただろうと思います。しかし神さまは世界中どこででも、どのようなときにも、私たちに呼びかけてくださいます。神の国を私たちの間にもたらすために、私たちを呼び集めてくださっている。
明日は主の日です。主なる神さまの呼びかけに応えて、私たちは一つの教会として、この地に来た神の国を生きているのです。
明日は日曜日です。教会は主の日の礼拝を献げます。「教会」は、ギリシア語ではエクレーシアと言います。「呼び出す」という意味の言葉です。神に呼び出された者たち、神に呼び集められた者たち。その人たちが共同で神を礼拝する。私たちは共に生きることで神の国を生きている。
「神々の神、主は語りかけ、日の出る所から日の沈む所まで、地に呼びかける。」この詩編の言葉で最初に祈った信仰者は、まさか、こんな地の果てで、何千年も経った後に、同じ神さまの語りかけを聞くものがいるだなんて考えてもみなかっただろうと思います。しかし神さまは世界中どこででも、どのようなときにも、私たちに呼びかけてくださいます。神の国を私たちの間にもたらすために、私たちを呼び集めてくださっている。
明日は主の日です。主なる神さまの呼びかけに応えて、私たちは一つの教会として、この地に来た神の国を生きているのです。