死の陰の谷を歩むとも、私は災いを恐れない。あなたは私と共におられ、あなたの鞭と杖が私を慰める。(詩編23:4)
私たちは、四方から苦難を受けても行き詰まらず、途方に暮れても失望せず、迫害されても見捨てられず、倒されても滅びません。(2コリント4:8~9)
今日の新約聖書のコリントの信徒への手紙を書いたのは使徒パウロです。彼は福音を宣べ伝えるために、たくさんの苦難を味わった人です。迫害され、後ろ指さされ、投獄されたり鞭で打たれたりしました。「四方から苦難を受けても」と言っていますが、文字通り、四方から、逃れ場もないような苦難を受け続けていました。
更にキリスト者ではない人から迫害されただけではなく、教会の仲間からもなかなか理解されず、心ない言葉も浴びせられました。パウロはただキリストの恵みだけに集中したので、人間の力の及ぶところを増やしたいと思う人たちからは疎んじられたのです。
四方から苦難を受けていた。しかし、それでもなお「行き詰まらず」と言います。例え途方に暮れることがあっても失望しない。迫害されても見捨てられないし、倒されても滅びない。なぜ、そこまで言うことができたのか。なぜ、途方に暮れてもなお希望を抱くことが出来たのか。それは、主イエス・キリストの命が宝のように私の身においても輝いているから。イエスの命が現れるためなら、私はいくらでも弱くなるし、私の小ささを喜ぼう、とパウロは考えていたのです。
それはちょうど、あの詩編第23編の信仰とぴったりと重なります。「死の陰の谷を歩むとも、私は災いを恐れない。あなたは私と共におられ、あなたの鞭と杖が私を慰める。」神が私の羊飼いでいてくださるから、私には乏しいことがない。例え私が死の陰の谷を行かねばならないときにも、主が共にいてくださるから。それだけが私の慰め。そのように告白します。私たちの信仰です。キリストが共にいてくださる。だから、私は失望しない。私は神を信じ、キリストを仰いで、この時にあっても希望を抱くのです。
私たちは、四方から苦難を受けても行き詰まらず、途方に暮れても失望せず、迫害されても見捨てられず、倒されても滅びません。(2コリント4:8~9)
今日の新約聖書のコリントの信徒への手紙を書いたのは使徒パウロです。彼は福音を宣べ伝えるために、たくさんの苦難を味わった人です。迫害され、後ろ指さされ、投獄されたり鞭で打たれたりしました。「四方から苦難を受けても」と言っていますが、文字通り、四方から、逃れ場もないような苦難を受け続けていました。
更にキリスト者ではない人から迫害されただけではなく、教会の仲間からもなかなか理解されず、心ない言葉も浴びせられました。パウロはただキリストの恵みだけに集中したので、人間の力の及ぶところを増やしたいと思う人たちからは疎んじられたのです。
四方から苦難を受けていた。しかし、それでもなお「行き詰まらず」と言います。例え途方に暮れることがあっても失望しない。迫害されても見捨てられないし、倒されても滅びない。なぜ、そこまで言うことができたのか。なぜ、途方に暮れてもなお希望を抱くことが出来たのか。それは、主イエス・キリストの命が宝のように私の身においても輝いているから。イエスの命が現れるためなら、私はいくらでも弱くなるし、私の小ささを喜ぼう、とパウロは考えていたのです。
それはちょうど、あの詩編第23編の信仰とぴったりと重なります。「死の陰の谷を歩むとも、私は災いを恐れない。あなたは私と共におられ、あなたの鞭と杖が私を慰める。」神が私の羊飼いでいてくださるから、私には乏しいことがない。例え私が死の陰の谷を行かねばならないときにも、主が共にいてくださるから。それだけが私の慰め。そのように告白します。私たちの信仰です。キリストが共にいてくださる。だから、私は失望しない。私は神を信じ、キリストを仰いで、この時にあっても希望を抱くのです。