2023年8月14日月曜日

2023年8月14日の聖句

あなたの口を、ものを言えない人のために、
捨てられた人の訴えのために開きなさい。(箴言31:8)
捕らわれている人々のことを考えなさい、あなたがたも捕らわれ人なのだから。虐げられている人々のことを考えなさい、あなたがたも傷を負っているのだから。(ヘブライ13:3)

私の口が言葉を話すことができるのは、ものを言えない人のために、その人たちに代わって開くためだ、と聖書は言います。捨てられた人の訴えを代弁して開くためにこの口はあるのだ、と聖書は言います。口だけのことではないのでしょう。この耳は聞こえない人に代わって聞くためにあるのでしょうし、目は見えない人のために見るためにあるのでしょう。持っているものは持たない人のため、自由は不自由な人のために与えられている。聖書はそう言っているのではないでしょうか。
神様は、私たちをご自分のかたちに造ってくださいました。もしも、ものが言えないから、聞こえないから、目が見えないからということで軽んじられている人がいるとしたら、神がお造りになった神のかたちが損なわれているということになります。更に神様は、私たちのために主イエス・キリストをお与えになり、十字架におかけになりました。そこまでして私たちを愛し抜いてくださいました。人間というのは、本当はそういう存在です。もしもそのような人間として扱われていないのだとしたら、それはとっても罪深いことです。神が独り子をお与えになったほどに愛した一人の人間を軽んじることだからです。
「捕らわれている人々のことを考えなさい、あなたがたも捕らわれ人なのだから。虐げられている人々のことを考えなさい、あなたがたも傷を負っているのだから。」ここには、あなたがたも捕らわれている、あなたがたも傷を負っている、とあります。ところが私たちは捕らわれ、虐げられている人の痛みをどれだけ知っているのか、どれだけ知ろうとしているのでしょうか。
同情は英語でシンパシーと言います。これはギリシア語のパトスという言葉にスンという接頭辞がくっついてできた言葉です。パトスは「痛み」を意味する。そしてスンは「共に」です。シンパシーとは、一緒になって痛むことです。相手の痛みをわが痛みとして痛み、相手の受けている虐げを自分の傷とすること。私たちは、捕らわれ、虐げられている人の痛みをどれだけ知っているのでしょうか?
私たちが今日出会う人は、神がお造りになった人です。キリストがご自身の命をこの人のために捨てた存在です。そのかけがえのない一人の人の痛みをわが痛みとする道に、私たちは歩み出そうとしています。

2025年1月2日の聖句

人を恐れることは破綻を招くが、主に頼る者は守られる。(箴言29:25) 小さな群れよ、恐れるな。あなたがたに御国をお与えになることを、あなたがたの父はお喜びになったのだから。(ルカ12:32) 新しい年が始まりましたが、だからといって社会が突然よくなったり、明るくなったりするわけ...