2024年2月10日土曜日

2024年2月10日の聖句

日夜、私の口はあなたの正義を、あなたの救いを語り継ぎます。しかし決して語り尽くすことができません。(詩編71:15)
(マリアの言葉)力ある方、その名は聖である方が、私に大いなることをしてくださいました。(ルカ1:49)

主イエスを胎に宿したおとめマリアの歌の一節です。「力ある方、その名は聖である方が、私に大いなることをしてくださいました。」マリアは、単に神さまが力ある方だとか、聖なる方だとは言っていません。その力ある方、聖なるお方が、この私に大いなることをしてくださった。この私にも御業を行ってくださるお方として、マリアは神さまのことを知っていたのです。
「客観的に言って神さまはこういう存在だ」という知識がいくら増えても、信仰にはなりません。そうではなくて、この私と出会ってくださり、この私に御業をなしてくださる方として神を知るということこそが、信じるということです。人間関係で考えてみても、誰かについての知識が増えても、それだけでは愛することにはなりません。実際に出会い、関係を結び、時を共有し、語り合い、・・・ということを経て、愛することを少しずつ学びます。まして私たちの目で捉えることのできない神さまであれば、なおのこと。「力ある方、その名は聖である方が、私に大いなることをしてくださいました。」神がそのように出会ってくださっているという事実に気付くとき、私たちの内に神への愛が、信仰が生まれます。
「日夜、私の口はあなたの正義を、あなたの救いを語り継ぎます。しかし決して語り尽くすことができません。」アーメン、と思います。語り尽くすことのできない神の恵みを、今日私たちも新しく味わい、賛美しつつ、この一日を歩んでいきましょう。

2024年12月21日の聖句

私の魂は生ける神に向かって、身も心も喜び歌います。(詩編84:3) (マリアへのエリサベトの言葉)私の主のお母様が、私のところに来てくださるとは、何ということでしょう。あなたの挨拶のお声を私が耳にしたとき、胎内の子が喜び踊りました。(ルカ1:43~44) エリサベトは既に老齢でし...