2024年2月6日火曜日

2024年2月6日の聖句

(主の言葉)「あなたがたは、私にとって祭司の王国、聖なる国民となる。」(出エジプト記19:6)
あとは、義の栄冠が私ために用意されているだけです。その日には、正しいさばき主である主が、それを私に授けてくださいます。私だけでなく、主の現れを慕い求める人には、だれにでも授けてくださるのです。(2テモテ4:8)

「主の現れを慕い求める人」とあります。主の現れ。すなわち、主イエスさまが再び私たちのところへ来てくださるその日、主が私たちの前に再びそのお姿を現してくださる日。私たちはその日を待ち望み、主のお姿を慕い求めて生きている。
まるで恋人のように。恋しい人の後ろ姿を見かけただけで心高鳴り、胸ときめく。そんな思いをもって主イエスさまを待ち望む。主イエスさまと顔と顔とを合わせてお目にかかり、親しく語り合うその日。キリストへの愛。それこそ私たちの信仰です。
今日の旧約の御言葉はこのようにあります。「あなたがたは、私にとって祭司の王国、聖なる国民となる。」一見すると先ほどの新約の御言葉との関係がよく分かりません。どういうことなのか。
祭司というのは、人々のために祈る者です。神様の御前に人々を執りなし、人々のために礼拝を献げるのが祭司の働きです。神さまは、私たちが「祭司の王国」として神と人とに仕えるのだ、とおっしゃいます。更にここには「聖なる」とあります。聖というのは、神さまのものということです。神さまに一心に向かい、神のものとして生かされている。それが「聖なる国民」ということです。祭司の王国、聖なる国民。それは、一心に神に向かい、それと共に隣人を見つめて人々のために祈りを献げる。
愛する主イエス・キリストのお姿に心ときめく信仰は、自分一人だけのために楽しむものではないのではないでしょうか。他ならぬ主イエスさまこそが私たちのために祭司として生きた聖なる神の御子です。私たちはキリストを愛し、キリストが愛する隣人を愛し、共に生きる生へと神に招かれています。

2024年12月13日の聖句

モーセは顔を隠した。神を見るのを恐れたからである。(出エジプト記3:6) イエスは近寄り、彼らに手を触れて言われた。「立ち上がりなさい。恐れることはない。」彼らが目を上げてみると、イエスの他には誰もいなかった。(マタイ17:7~8) 今日の新約聖書の御言葉は、ある高い山での出来事...