2024年2月7日水曜日

2024年2月7日の聖句

主は私を厳しく懲らしめられるが、
死に追いやられることはない。(詩編118:18)
そこに38年も病気で苦しんでいる人がいた。イエスは言われた。「起きて、床を担いで歩きなさい。」すると、その人はすぐに良くなって、床を担いで歩き出した。(ヨハネ5:5、8~9)

私たちには苦しむことがあるし、理解できない出来事も起こります。今日私たちに与えられている詩編は、そのような苦しみを神さまとの関わりの中で捉え直しています。「主は私を厳しく懲らしめられる」。これは、他人が口にすることは許されない言葉です。あの人は神に懲らしめられている、罰を受けている。そのようなことは他人が決して言ってはいけないし、思ってもいけないことなのだと思います。あくまでも神さまと自分との関わりの中で、この苦しみを謙遜に受け止める者の静かな告白であるのだと思います。
「主は私を厳しく懲らしめられる。」しかしそれは主からのものだから、慈しみに満ちた主の手の中にあることを私たちは信じています。「死に追いやられることはない。」私たちは滅ぼされることはない。なぜなら、キリストが私に代わって滅ぼされたからです。私たちは神から捨てられて死ぬことはない。キリストが私の代わりに神に捨てられたからです。
主イエス・キリストに示された神の愛こそ、神から私たちへの御心です。私たちはそのことを深く信頼して、今この時に起きている出来事を受け止めなおします。主イエスは病気で苦しむ一人の人に目を留めて、「起きて、床を担いで歩きなさい」と言ってくださいます。私たちのために、主はその憐れみに満ちた御心を震わせてくださいます。私たちには理解できないことや呻くしかないことが起こります。その苦しみの中にキリストは共にいてくださる。十字架にかけられたキリストがいてくださる。その事実を私たちは信頼します。

2024年12月21日の聖句

私の魂は生ける神に向かって、身も心も喜び歌います。(詩編84:3) (マリアへのエリサベトの言葉)私の主のお母様が、私のところに来てくださるとは、何ということでしょう。あなたの挨拶のお声を私が耳にしたとき、胎内の子が喜び踊りました。(ルカ1:43~44) エリサベトは既に老齢でし...