いつまで、主よ、わたしを忘れておられるのか。
いつまで、御顔をわたしから隠しておられのか。(詩編13:2)
(イエスの叫び)わが神、わが神、なぜ私をお見捨てになったのですか。(マタイ27:46)
主イエス・キリストの十字架の上での叫びです。
「わが神、わが神、なぜ私をお見捨てになったのですか。」
主イエス・キリストは、私たちの知らないことを知っておられる。それは、本当の絶望のどん底とは一体何か、ということです。神に見捨てられること。そこにこそ、絶望の絶望たる所以がある。
私たちにも、神に見捨てられたとしか考えようのない苦しみがあります。私たちにも、呻きつつ言わねばならないときがあります。「いつまで、主よ、わたしを忘れておられるのか。いつまで、御顔をわたしから隠しておられのか。」しかし、キリストと同じほどに神に棄てられた人はいません。私たちがどんなにどん底にいるときにも、キリストはなおその下におられて私たちを支えていてくださいます。
この受難節のとき、主イエス・キリストの叫び声にじっと耳を傾けましょう。この私のために、この私に替わって叫んでくださったキリストの御声に、この耳を向けましょう。そこでしか見出すことのできない望みが私たちにはあるのです。
いつまで、御顔をわたしから隠しておられのか。(詩編13:2)
(イエスの叫び)わが神、わが神、なぜ私をお見捨てになったのですか。(マタイ27:46)
主イエス・キリストの十字架の上での叫びです。
「わが神、わが神、なぜ私をお見捨てになったのですか。」
主イエス・キリストは、私たちの知らないことを知っておられる。それは、本当の絶望のどん底とは一体何か、ということです。神に見捨てられること。そこにこそ、絶望の絶望たる所以がある。
私たちにも、神に見捨てられたとしか考えようのない苦しみがあります。私たちにも、呻きつつ言わねばならないときがあります。「いつまで、主よ、わたしを忘れておられるのか。いつまで、御顔をわたしから隠しておられのか。」しかし、キリストと同じほどに神に棄てられた人はいません。私たちがどんなにどん底にいるときにも、キリストはなおその下におられて私たちを支えていてくださいます。
この受難節のとき、主イエス・キリストの叫び声にじっと耳を傾けましょう。この私のために、この私に替わって叫んでくださったキリストの御声に、この耳を向けましょう。そこでしか見出すことのできない望みが私たちにはあるのです。