2024年3月4日月曜日

2024年3月4日の聖句

主はその民の逃れ場、イスラエルの子らの砦。(ヨエル4:16)
盲人はますます大きな声で「ダビデの子よ、私を憐れんでください」と叫んだ。するとイエスは立ち止まり、「あの男を呼んできなさい」と言われた。(マルコ10:48~49)

ダビデの子、神が約束してくださった私たちの救い主。私たちはこのお方に祈ります。「私を憐れんでください」と。この祈りの言葉は聖書の中に度々登場します。神様に憐れんで頂くのでなければ生きられない私だから、代々の信仰者たちはそのことを痛感し、無数の人々が同じ言葉で祈りました。「私を憐れんでください」と。
ここでは「ダビデの子よ」と主をお呼びしています。「主よ、憐れんでください」と、神さまを「主」とお呼びして、同じように祈ることも多いのです。「主よ、憐れんでください。」ギリシア語では「キリエ・エレイソン」と言います。この音がそのまま代々の教会に大切に受け継がれてきました。アーメンとかハレルヤとか、ヘブライ語の音がそのまま残っている言葉がいくつもありますが、キリエもその仲間と言えると思います。キリエ・エレイソン。主よ、憐れんでください。私たちも祈ります。主よ、憐れんでください。
主イエス・キリストは御自分に憐れみを求めるものを決して放ってはおかれません。「あの男を呼んできなさい」と言って立ち止まり、祈る私たちを招いてくださいます。この方が耳を傾けてくださるから、私たちは安心して祈る。主よ、憐れんでください。ダビデの子よ、憐れんでください。
「主はその民の逃れ場、イスラエルの子らの砦。」主なる神さまの御許に私たちは逃れ、安息に入る。主イエス・キリストの御許に私たちの救いがある。だからこそ、私たちは主イエス・キリストに憐れみを求める。この祈りの歩みに、今日も神の祝福がありますように。

2026年6月3日の聖句

主は見えない人の目を開く。(詩編146:8) それで、(イエスは)こうお答えになった。「行って、見聞きしたことをヨハネに伝えなさい。目の見えない人は見え、足の不自由な人は歩き、規定の病を患っている人は清められ、耳の聞こえない人は聞こえ、死者は生き返り、貧しい人は福音を告げ...