2024年3月8日金曜日

2024年3月8日の聖句

主はアブラハム、イサク、ヤコブとの契約のゆえに、イスラエルを恵み、憐れみ、顧みられた。主は彼らを滅ぼそうとはされず、今に至るまで、御前から捨て去ることはされなかった。(列王記下13:23)
神の賜物と招きは取り消されることがないからです。(ローマ11:29)

「神の賜物と招きは取り消されることがない」。
なんと力強く、断乎たる言葉でしょう。神がそれを取り消されることはない。私たちのあり方如何によるのではない。神ご自身が断乎たる思いをもって私たちを招き、私たちに良き贈り物、賜物をくださっている。この神のご決意が取り消されることはない。聖書はそう断言します。
私たちがもしも自分を見つめていれば、絶望しかありません。自分の信仰なり行いなり生き方なりを判定基準にしたとしたら、一体誰が、それでもなお私は救われる、神に愛されると言えるでしょうか。しかし、私たちのあり方が急所なのではなく、神さまの側のご決意が本質です。そして「神の賜物と招きは取り消されることがない」のです。
「主はアブラハム、イサク、ヤコブとの契約のゆえに、イスラエルを恵み、憐れみ、顧みられた。主は彼らを滅ぼそうとはされず、今に至るまで、御前から捨て去ることはされなかった。」このように語られたイスラエルの人々は、繰り返し繰り返し、何度も、神に背き続けてきました。神さまを蔑ろにして生きてきました。それでも神がお見捨てにならなかったのは、神ご自身がかつて結んでくださった契約があるから。神が御自分の言葉に誠実であり続けてくださったからです。
私たちを救う神の真実はどのようなときにも変わりません。私たちはただキリストだけを信じます。自分や、自分のダメさを信じるのではなく、ただキリストだけにこの目を向けます。

2024年12月23日の聖句

私は自分の背きを知っています。罪は絶えず私の前にあります。(詩編51:5) 私たちが自分の罪を告白するなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、あらゆる不正から清めてくださいます。(1ヨハネ1:9) クリスマスにお生まれになった救い主は「イエス」と名付けられました。主の天使...