2024年3月9日土曜日

2024年3月9日の聖句

なぜ、私の痛みはいつまでも続くのでしょうか。私の傷は治らないのでしょうか。傷口が癒えることを拒んでいます。実にあなたは、私にとって偽りの川のようで、頼りにならない流れのようです。(エレミヤ15:18)
(パウロの手紙)私たちは主に信頼を置いているので、信念と確信とをもって神の前に出ることができるのです。だから、あなたがたにお願いします。私が苦しみを負っていることで、惑わされてはいけません。(エフェソ3:12~13)

預言者エレミヤの言葉が今日与えられています。
神に預言者として立てられたエレミヤは、真摯に神に向かい、人々に神の言葉を伝えるために生きていました。しかし、罪の悔い改めを求め、生き方の方向転換を迫る彼の言葉に、誰も耳を貸そうとはしませんでした。人々は彼を嘲笑い、迫害し、いじめ抜きました。そのためにエレミヤは苦しみ、何度も何度も、神さまに助けを求めて祈りました。しかし、神は状況を改善してくださらない。今日の御言葉は、そんな一人の信仰者の言葉です。
「なぜ、私の痛みはいつまでも続くのでしょうか。私の傷は治らないのでしょうか。傷口が癒えることを拒んでいます。実にあなたは、私にとって偽りの川のようで、頼りにならない流れのようです。」
エレミヤは、もしかしたら最も主イエス・キリストの苦しみに近づいた人なのではないかとさえ思います。
しかしもう一人、同じ苦しみを味わった人がいます。パウロです。この人は言います。「私たちは主に信頼を置いているので、信念と確信とをもって神の前に出ることができるのです。だから、あなたがたにお願いします。私が苦しみを負っていることで、惑わされてはいけません。」それでもなお主を信頼し、キリストの助けを求めよう。苦しみに惑わされることなく、主を信頼しよう、と。
エレミヤもパウロも、キリストの御苦しみを映し出すような人物です。私たちは遠くそれに及ばないけれど、ほんの僅かでも、キリストに連なるものとして生きられれば、と願います。私たちの味わう苦しみには、永遠につながる意味があるのです。

2024年12月23日の聖句

私は自分の背きを知っています。罪は絶えず私の前にあります。(詩編51:5) 私たちが自分の罪を告白するなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、あらゆる不正から清めてくださいます。(1ヨハネ1:9) クリスマスにお生まれになった救い主は「イエス」と名付けられました。主の天使...