2024年5月15日水曜日

2024年5月14日の聖句

神を尋ね求める者には恵み深い御手があるが、神を捨てる者には激しい憤りがある。(エズラ8:22)
イエスは十二人に、「あなたがたも去ろうとするのか」と言われた。(ヨハネ6:67)

今日の御言葉には、神さまの、主イエスさまの、深い悲しみが込められています。「あなたがたも去ろうとするのか」と主イエスは十二人におっしゃいました。世の人々が見なさっていくからです。ご自分の前から去り、神を捨てていく人々をご覧になりながら、お前たちもなのか、と主イエスはおっしゃっている。深い悲しみです。
私たちはついうっかりすると、主イエスさまの悲しみや憤りにひどく鈍感になって平気な顔をしてしまいます。イエス様はゆるしてくださって当然、と・・・。しっかりと考えてみると恐ろしく不遜でひどい考えですが、主イエスさまの悲しみを真剣に考えようとしないということは、私たちにはどこか起こりがちなところがあるのではないでしょうか。いや、「起こりがち」どころか、絶えずそうなのかもしれない。そして、それこそ私たちの「罪」ということなのかも知れない。
「神を尋ね求める者には恵み深い御手があるが、神を捨てる者には激しい憤りがある。」神さまのこの憤りを恐れ、真剣にこれを考えたいと願います。
私たちは、主イエス・キリストを仰ぎつつ、その憐れみをただひたすらに求めるしかありません。キリストへの愛を拒み、キリストからの愛も否定し、傲慢で不遜な私を、主よ、どうか憐れんでください。そう祈るところからしか私たちは始められない。この朝、主イエスさまの憐れみを求めて祈りつつ、歩み出していきたいと願います。

2024年7月27日の聖句

貧しい人が(主に)永遠に忘れられ、苦しむ人の希望が滅びることは決してない。(詩編9:19) イエスは言われた。「貧しい人々は、幸いである。神の国はあなたがたのものである。」(ルカ6:20) 「貧しい人々は、幸いである」と主イエス・キリストは宣言なさいます。キリスト以外の一体誰にそ...