2024年5月15日水曜日

2024年5月15日の聖句

主よ、朝ごとに私たちの腕となり、
苦難の時に私たちの救いとなってください。(イザヤ33:2)
この白い衣を身にまとった者たちは誰か。またどこから来たのか。この人たちは大きな苦難をくぐり抜け、その衣を小羊の血で洗って白くしたのである。彼らは、もはや飢えることも渇くこともない。(黙示録7:13,14,16)

ヨハネが幻の内に見た人々。殉教者たちが天で神を礼拝している様子を目の当たりにしました。迫害を受け、大きな苦難を味わい、殉教して血を流した。しかしその血に汚れた衣を主ご自身の血が洗って白くしてくださった。白い衣を着て、この人たちが神を礼拝している。そういう幻です。
殉教とか迫害とかいうと、私たちの現代日本での生活からはずいぶん遠い話をしているように聞こえます。確かに私たちは教会に通っているからといって命を落とすことは無いし、キリスト者であるということで市民生活から排除されることもありません。ただ、ほんの数十年前の日本の先輩キリスト者たちはそういう時代を生きていました。キリスト者であるということで逮捕投獄された人もいますし、獄中で命を落としたキリスト者もありました。本当は私たちに無関係な話ではなくて、同じ事が問われているのだと思います。
苦難の中での私たちの慰めは、一体何でしょうか。結局は、小さな事においても大きな事においても、それが問われるのだと思います。キリストが私の慰めでいてくださり、キリストのものとされたことが喜びであるならば、私たちの生き方の方向性は自ずから定まってくるのだと思います。朝毎に主に力を下さるし、苦難の時にキリストが慰めとなってくださる。このお方に、私たちが与えられたものをお返しする歩みを、今日お献げして参りたいと願います。

2024年5月22日の聖句

主はその民を贖い、契約をとこしえに定めた。(詩編111:9) この方(イエス・キリスト)こそ、私たちの罪、いや、私たちの罪だけではなく、全世界の罪のための宥めの献げ物です。(1ヨハネ2:2) 主が民をご自分のものとしてくださった。御言葉はそのように宣言します。私たちも神の民、神の...