2024年6月13日木曜日

2024年6月13日の聖句

(モーセの言葉)私があなたがたに命じる言葉を、すべて守り行いなさい。それに付け加えたり減らしたりしてはならない。(申命記13;1)
(イエスの言葉)私の教えは、私のものではなく、私をお遣わしになった方のものである。この方の御心を行おうとする者は、私の教えが神から出たものか、私が勝手に話しているのか、分かるはずである。(ヨハネ7:16~17)

神が命じる言葉、神の言葉であるからこそ、それに付け加えたり減らしたりしてはならない、と言います。言葉を付け加えたり減らしたりするのは、自分に都合が悪いからです。自分にとって都合の良いように改変しようとしてはならない。なぜなら、神の言葉だから。
新約聖書の時代の少し後に、マルキオンという人がいました。この人はルカによる福音書と一部のパウロの手紙を中心とした新約聖書だけを正典と認め、旧約聖書は必要ないと考えたそうです。自分に都合の良いように神の言葉を減らしてしまいました。マルキオンまでいくと少し極端かもしれません。しかし、旧約聖書の神さまは厳しい神さま、裁きの神さまとしてあまり考えないようにするという気持ちは、多くの人に多少なりとも覚えがあるところではないかと思います。
ところが神の言葉は私たちの創作ではなく、神ご自身の御言葉です。そうであるからこそ、私たちはそれを付け加えたり減らしたりせずに耳を傾けることが大事なのではないでしょうか。それは主イエスご自身が大切になさったことです。キリストは父なる神様から教えられたとおりに私たちに教えてくださいました。だからこそ、私たちはキリストの言葉に聞けば父なる神様の御心を知ることができます。キリストの語る御言葉にこそ、神の思いが十全に現されています。私たちはほかの誰でもなくキリストに耳を傾ける。付け加えることも、減らすこともなく。今日の私たちがこのお方に耳を傾け、このお方の証ししてくださった福音に従うものでありますように。

2024年9月8日の聖句

今週の聖句: 一切の思い煩いを神にお任せしなさい。神が心にかけていてくださるからです。(1ペトロ5:7) 今日の聖句: 優れた分別と知識を私に教えてください。私はあなたの戒めを信じています。(詩編119:66) (テモテへのパウロの手紙)愚かで無知な議論を避けなさい。それが争いの...