2024年6月14日金曜日

2024年6月14日の聖句

主の神殿の基礎がすえられたことで、すべての民は主を賛美して喜びの叫びを上げた。(エズラ3:11)
イエス・キリストというすでに据えられている土台のほかに、誰も他の土台を据えることはできません。(1コリント3:11)

教会は、今この世界に建てられている主の神殿です。その基礎、土台はイエス・キリストご自身です。建物は土台作りが一番大事です。土台がしっかりしていなければ、その上に立っている建物がどんなに見栄えよく見えても、何かがあればすぐに倒壊してしまいます。主の神殿の基礎はイエス・キリスト。この土台の上に建っていれば、絶対大丈夫です。私たちに例えどんなに大嵐や大地震に見えることがあったとしても、大丈夫です。キリストご自身が堅固な土台になってくださるから。
この土台であるイエス・キリストというお方は、十字架にかけられた方です。十字架の上で苦しまれたお方が私たちの土台になってくださった。だから私たちは、苦しみ、弱さを憶えてくださった神の子に従って、この世での信仰の生活をなしていきます。
この世界にはたくさんの成功や豊かさの物語があります。そういう魅力的な物語を土台にした方が現実的なのではないか、と思わせる力があります。十字架なんて言っていないで成功や豊かさを土台に据えた方が世の人にも魅力的なのではないか。世界の物語は、キリストにとってかわる土台に成り代わろうとする。しかし私たちは私たちのために十字架にかけられた方を救いと信じます。このお方がくださる救い以外の何ものも自分の救いとは信じません。キリストとその十字架以外の一体何が嵐の日に私たちを建たせる土台足りうるでしょうか?
ひたすらにキリストを仰ぎ、キリストを信じ、キリストに祈ります。このお方に示された神の愛を仰ぎ、私たちは生きていきます。

2024年12月21日の聖句

私の魂は生ける神に向かって、身も心も喜び歌います。(詩編84:3) (マリアへのエリサベトの言葉)私の主のお母様が、私のところに来てくださるとは、何ということでしょう。あなたの挨拶のお声を私が耳にしたとき、胎内の子が喜び踊りました。(ルカ1:43~44) エリサベトは既に老齢でし...