2024年6月12日水曜日

2024年6月12日の聖句

(あなたは)御手の業を治めさせ、あらゆるものをその足元に置かれた。(詩編8:7)
私には、すべてのことが許されています。しかし、すべてのことが益になるわけではありません。私には、すべてのことが許されています。しかし、私は何事にも支配されはしません。(1コリント6:12)

使徒パウロは言います。「私には、すべてのことが許されています。」私たちは、キリストにあって究極の自由をいただきました。すべてが許されている。あらゆる掟も、戒めも、習わしも、人目も人間関係も私たちを縛ることはない。しかしパウロは同時に、その自由を自分の放埒の言い訳や、自分の欲望のための屁理屈にはしません。「しかし、すべてのことが益になるわけではありません。」「私は何事にも支配されはしません。」
同じ事を、改革者ルターは「キリスト者の自由について」という名著にこのように書きました。
「キリスト者はすべてのものの上に立つ自由な主人であって、だれにも服しない。
キリスト者はすべてのものに仕える(ことのできる)僕であって、だれにでも服する。」
キリストが私を自由にしてくださった。誰にも服することはなく、すべてにおいて主人として生きる。しかし、私はその自由をどのように用いるのか。私は、与えられた自由をキリストと隣人のために用いることができる。すべての人の僕、奴隷として生きる自由にキリストが私を招いてくださった。キリストご自身がそうしてくださったように。
キリストは私たちを自由にしてくださいました。私自身の欲のためではなく、隣人を愛し、仕える自由へと招いてくださいました。それは、キリストご自身が生きられた自由と同じ自由なのです。

2024年12月21日の聖句

私の魂は生ける神に向かって、身も心も喜び歌います。(詩編84:3) (マリアへのエリサベトの言葉)私の主のお母様が、私のところに来てくださるとは、何ということでしょう。あなたの挨拶のお声を私が耳にしたとき、胎内の子が喜び踊りました。(ルカ1:43~44) エリサベトは既に老齢でし...