新しい歌を主に歌え。
全地よ、主に向かって歌え。(詩編96:1)
(弟子たちは神を賛美して言った。)「主の名によって来られる王に祝福があるように。天には平和、いと高きところには栄光があるように。」(ルカ19:38)
イエス・キリスト。このお方は、主の名によって私たちのところへ来られた王様です。まことの支配者、私たちの神でいらっしゃる方。このお方を本当に王様らしくお迎えするということが、わたしたちの信仰者としてのあり方です。
主イエス・キリストをまことに王様らしくお迎えする、神の子らしくキリストをお迎えする。それは、このお方を賛美してお迎えするということです。「主の名によってこられる王に祝福があるように」と言っています。キリストが私たちを祝福してくださるというのはなじみ深い言葉ですが、ここではその逆で、私たちがキリストを祝福すると言っています。「祝福する」と翻訳されている単語ですが、「良い言葉」という字でできています。通常日本語に翻訳するときは、神から私たちに向かうときには「祝福」と、人間から神に向かうときには「賛美」と翻訳されます。つまり、祝福と賛美は同じ言葉で言い表されている。どちらも「良い言葉」です。
キリストをほめたたえ、キリストに平和や栄光を帰すとき、私たちはキリストを祝福している。恐れ多いことです。しかし賛美というのは、そういうことです。「新しい歌を主に歌え。全地よ、主に向かって歌え。」私たちはキリストを賛美し、ほめたたえ、祝福し、キリストを崇めて生きていく。それこそがまことの王でいらっしゃるキリストの御前にふさわしい私たちのあり方であると信じているからです。主イエス・キリストのお名前がほめたたえられますように。
全地よ、主に向かって歌え。(詩編96:1)
(弟子たちは神を賛美して言った。)「主の名によって来られる王に祝福があるように。天には平和、いと高きところには栄光があるように。」(ルカ19:38)
イエス・キリスト。このお方は、主の名によって私たちのところへ来られた王様です。まことの支配者、私たちの神でいらっしゃる方。このお方を本当に王様らしくお迎えするということが、わたしたちの信仰者としてのあり方です。
主イエス・キリストをまことに王様らしくお迎えする、神の子らしくキリストをお迎えする。それは、このお方を賛美してお迎えするということです。「主の名によってこられる王に祝福があるように」と言っています。キリストが私たちを祝福してくださるというのはなじみ深い言葉ですが、ここではその逆で、私たちがキリストを祝福すると言っています。「祝福する」と翻訳されている単語ですが、「良い言葉」という字でできています。通常日本語に翻訳するときは、神から私たちに向かうときには「祝福」と、人間から神に向かうときには「賛美」と翻訳されます。つまり、祝福と賛美は同じ言葉で言い表されている。どちらも「良い言葉」です。
キリストをほめたたえ、キリストに平和や栄光を帰すとき、私たちはキリストを祝福している。恐れ多いことです。しかし賛美というのは、そういうことです。「新しい歌を主に歌え。全地よ、主に向かって歌え。」私たちはキリストを賛美し、ほめたたえ、祝福し、キリストを崇めて生きていく。それこそがまことの王でいらっしゃるキリストの御前にふさわしい私たちのあり方であると信じているからです。主イエス・キリストのお名前がほめたたえられますように。