2024年9月7日土曜日

2024年9月7日の聖句

「願いごとがあれば、言いなさい。かなえてあげよう」と神はソロモンに言われた。ソロモンは「どうか、この僕に聞き分ける心を与え、あなたの民を治め、善と悪をわきまえることができるようにしてください」と言った。(列王記上3:5,9)
悪魔はイエスを非常に高い山に連れて行き、世のすべての国々とその栄華を見せて、言った。「もし、ひれ伏して私を拝むなら、これを全部与えよう。」すると、イエスは言われた。「退け、サタン。」(マタイ4:8~10)

ダビデの子ソロモンが王になったとき、神は彼に何でも欲しいものを願いなさいとおっしゃいました。その時、彼は自分の長寿を求めるのでも、栄誉を求めるのでもありませんでした。「どうか、この僕に聞き分ける心を与え、あなたの民を治め、善と悪をわきまえることができるようにしてください。」自分のためではなく神に託された民を正しく治めることができるように、知恵と識別の力を求めたのです。
神さまは、私たちにどのようなことでも祈ることを許してくださっています。しかし、どのような願いでも私たちを建て上げるわけではありません。神は私たちがどんなことでも神に祈ることを待っていてくださいます。しかし、すべての願いが私たちを神に向かって成長させるわけではないのです。
主イエス・キリストは悪魔と戦われました。悪魔などに求めずとも、主イエスが父なる神様に求めれば、神は何でも下さった筈です。しかし、それでは主イエスのなさる救いの御業は成し遂げられませんでした。主は貧しく、十字架にかけられるお方であるからこそ、私たちを罪から救うことがおできになったのです。
私たちはどのように祈るでしょう。私たちはどのような願いを神に献げるでしょう。自分自身のための願いに埋もれるのか、それとも、隣人のための願いを献げるのか。神は私たちの祈りを待っていてくださいます。

2024年9月19日の聖句

(主よ、)あなたの僕を裁きにかけないでください。生ける者の中であなたの前に正しい者はいないからです。(詩編143:2) イエスは女に、「あなたの罪は赦された。あなたの信仰があなたを救った。安心して行きなさい」と言われた。(ルカ7:48,50) 主イエスさまが私たちを赦してくださる...