2024年10月17日木曜日

2024年10月17日の聖句

あなたの神、主は憐れみ深い神であり、あなたを見捨てることも、あなたを滅ぼすこともない。(申命記4:31)
何事でも神の御心に適うことを願うなら、神は聞いてくださる。これこそ私たちが神に抱いている確信です。(1ヨハネ5:14)

私たちの神である主は憐れみ深い神!なんと素晴らしく、なんと慰めに満ち、なんと心を打つ御言葉でしょう。「あなたの神、主は憐れみ深い神であり、あなたを見捨てることも、あなたを滅ぼすこともない。」何度でも、この御言葉を思い起こし、心に刻み、味わいたい。主なる神さまの憐れみによって私たちは生かされています。私たちの人生も、私たちの過ごす一瞬一瞬も、主なる神さまの憐れみが包んでいてくださいます。
「憐れみ」というのは、その相手のために心を動かし、自分の肉体までも痛むほどに相手を思い、自分を滅ぼすほどに相手の痛みに心を寄せることです。しかし、私たちはどうでしょう。神が憐れみにその胸を焼くほどに私たちを愛してくださっていることに対し、私たちはふさわしいものを少しでもお返ししているのでしょうか。むしろ自分の現実を思うと、神さまをどれだけ深く傷つける私であるか、考えないわけにはいきません。もしも主なる神さまがそのように憐れみに満ちたお方でなければ、私たちは一瞬のうちに滅ぼし尽くされても何の文句も言えない存在です。
今日の新約の御言葉では、このように言います。「何事でも神の御心に適うことを願うなら、神は聞いてくださる。これこそ私たちが神に抱いている確信です。」神の御心に適う願い、それは私たちが神を愛することであり、隣人を愛することでしょう。私たちを愛してくださった神を愛することを第一の願いとして生きていきたい。神の憐れみを求め、神の愛に生かされて、私たちの今日一日は進んでいきます。

2025年4月5日の聖句

主は貧しくし、また富ませ、低くし、また高めます。(サムエル上2:7) あなたがた一人ひとりに言います。分を超えて自らを買いかぶったり過信したりしてはなりません。むしろ冷静な自己評価に努めなさい。そうして、それぞれが神の各自に対してお定めになったように、また信仰の基準にふさわしいよ...