2024年10月19日土曜日

2024年10月18日の聖句

彼は軽蔑され、人々に見捨てられ、痛みの人で、病を知っていた。(イザヤ53:3)
人の子は異邦人の引き渡されて、嘲られ、侮辱され、唾をかけられる。彼らは人の子を、鞭打ってから殺す。そして、人の子は三日目に復活する。(ルカ18:32~33)

人の子、主イエス・キリストは十字架にかけられました。旧約聖書と新約聖書が言うとおりに、このお方は十字架にかけられた。軽蔑され、見捨てられ、痛み、病む人として、キリストは十字架に苦しみました。異邦人の手に渡され、嘲られ、侮辱され、唾をかけられ、鞭打たれ、殺されました。打ち叩かれ、砕かれたこの方こそ、私たちの救い主、私たちの神の子です。
十字架にかけられたキリストのお姿を、私たちはいつでも仰ぎます。いつも繰り返し、捨てられ、侮辱されたこのお方の苦しみに目を注ぎます。ここに私たちの救いがあるからです。私たちが与えた苦しみです。私たちが吐きかけた唾です。私たちの嘲りをこのお方が一身に引き受けてくださったのです。
私たちの救いは、罪の赦しです。神の子を侮辱して殺した罪。これが私たちの根本の問題です。私たちが神を殺した。そこに私たちの罪がある。私たちは一体どうして生きることができるのか。
「そして、人の子は三日目に復活する。」私たちの手にかかって殺されたイエス・キリストを、神は三日目に復活させました。これが私たちへの神の判決です。この復活させられた神の子が私たちを裁く。このお方は、私たちのために「彼らをお赦しください」と祈ってくださいます。私たちの前に立つ神の子がかけられた十字架を、私たちのための神の愛のしるしにしてくださいました。私たちをご自分と同じように復活させることをキリストは御心としてくださいました。
十字架にかけられ、死者の中から引き上げられたお方を、今日も私たちは仰いで生きていきます。

2024年10月19日の聖句

神よ、私が老いて白髪になってもどうか捨て去らないでください。 あなたの腕の業を、力強い業を来たるべきあらゆる代に語り伝えるその時まで。(詩編71:18) アンナという女預言者がいた。彼女はやもめになり、八十四歳になっていた。そして神殿を離れず、夜も昼も断食と祈りをもって神に仕えて...