2024年10月4日金曜日

2024年10月3日の聖句

私の目はあなたの仰せを思い焦がれ、絶え入りそうです。いつ私を慰めてくださるのか、と問いかけます。(詩編119:82)
憐れみを受け、恵みにあずかって、時宜に適った助けを受けるために、堂々と恵みの座に近づこうではありませんか。(ヘブライ4:16)

神さまは私たちを招いてくださっています。ご自分の御許、ご自身のそば近くに。聖なるお方です。罪深く、汚れた私です。しかし、私たちは神の御前に出ることが許されています。「憐れみを受け、恵みにあずかって、時宜に適った助けを受けるために、堂々と恵みの座に近づこうではありませんか。」
今日の新約の御言葉は本当にすごい言葉です。神の憐れみが、神の恵みが私たちを神の御前へと連れ出してくださいます。神の御前で私たちは堂々としていられる。「敷居が高い」という言葉があります。本来は不義理をしたために相手のところへ行きにくい状態を指します。まさに私たちにとって礼拝は敷居が高い場所です。神さまに不義理な私は、神の前に堂々と出られるわけではない。それでも神の方が私を招いてくださっている。堂々と進み出ることができる。
しかも、「時宜に適った助けを受けるため」と言います。神さまは私たちを助けてくださる。「私の目はあなたの仰せを思い焦がれ、絶え入りそうです。いつ私を慰めてくださるのか、と問いかけます。」私たちの欠け、しかも神さまにしか埋めることのできない欠け。私たちは神さまに求めるし、神の助けを必要としている。神はあなたを慰めるために、今日も御言葉を語りかけ、祈りへと導いてくださっている。神があなたのいる部屋の戸を叩いておられます。開けてほしい、私だ、と神が呼びかけておられます。

2025年4月5日の聖句

主は貧しくし、また富ませ、低くし、また高めます。(サムエル上2:7) あなたがた一人ひとりに言います。分を超えて自らを買いかぶったり過信したりしてはなりません。むしろ冷静な自己評価に努めなさい。そうして、それぞれが神の各自に対してお定めになったように、また信仰の基準にふさわしいよ...