主よ、あなたは私たちに平和を備えてくださいます。あなたは私たちのためにすべての業を成し遂げてくださいました。(イザヤ26:12)
(パウロの手紙)終わりに、きょうだいたち、喜びなさい。初心に帰りなさい。励まし合いなさい。思いを一つにし、平和に過ごしなさい。そうすれば、愛と平和の神があなたがたと共にいてくださいます。(2コリント13:11)
いつの時代であっても、人間が集団で生きている以上は争いがあるし、平和は切実な問題です。私たちにとっても、そうではないでしょうか。私たちの国は確かにこの79年間戦争が起きてはいませんが、今も私たちと同じ人間が戦争に巻き込まれていることも、あるいは同じ人間が戦争に対して積極的に加担していることも、事実です。私たちは見ないで済ませてしまうことができていますが、そうではない人がたくさんいます。
平和。一体どこに行けば平和があるのか。どうすれば平和になるのか。私たちは日々問い、また考え、途方に暮れ、諦めているのではないでしょうか。
本当の平和は、神さまにしか作ることはできないのでしょう。まことの平和は、神の国でしか実現しないのだと思います。しかし私たちは「人間には所詮無理だ」と言い訳せず、平和を造り出す人として生きていきたいと願います。「思いを一つにし、平和に過ごしなさい。」聖書はそのように言います。教会の話をしています。教会は神の国の先取りです。私たちは教会という神の国の始まりにおいて平和を造り、この世界に神の平和の先触れとして証しをする。そういう役目が与えられています。教会に平和が実現することこそ、この世界の平和のための第一歩なのだと私は信じています。心を合わせて「御国を来たらせたまえ」と祈りましょう。
(パウロの手紙)終わりに、きょうだいたち、喜びなさい。初心に帰りなさい。励まし合いなさい。思いを一つにし、平和に過ごしなさい。そうすれば、愛と平和の神があなたがたと共にいてくださいます。(2コリント13:11)
いつの時代であっても、人間が集団で生きている以上は争いがあるし、平和は切実な問題です。私たちにとっても、そうではないでしょうか。私たちの国は確かにこの79年間戦争が起きてはいませんが、今も私たちと同じ人間が戦争に巻き込まれていることも、あるいは同じ人間が戦争に対して積極的に加担していることも、事実です。私たちは見ないで済ませてしまうことができていますが、そうではない人がたくさんいます。
平和。一体どこに行けば平和があるのか。どうすれば平和になるのか。私たちは日々問い、また考え、途方に暮れ、諦めているのではないでしょうか。
本当の平和は、神さまにしか作ることはできないのでしょう。まことの平和は、神の国でしか実現しないのだと思います。しかし私たちは「人間には所詮無理だ」と言い訳せず、平和を造り出す人として生きていきたいと願います。「思いを一つにし、平和に過ごしなさい。」聖書はそのように言います。教会の話をしています。教会は神の国の先取りです。私たちは教会という神の国の始まりにおいて平和を造り、この世界に神の平和の先触れとして証しをする。そういう役目が与えられています。教会に平和が実現することこそ、この世界の平和のための第一歩なのだと私は信じています。心を合わせて「御国を来たらせたまえ」と祈りましょう。