2024年11月28日木曜日

2024年11月26日の聖句

イスラエルの神、救い主よ。まことに、あなたはご自分を隠される神。(イザヤ45:15)
この恵みは、すべての聖なる者のうちで最も小さな者である私に与えられました。キリストの計り知れない富を異邦人に告げ知らせ、すべてのものを造られた神の内に永遠の昔から隠されていた秘儀の計画がどのようなものであるかを、すべての人に明らかにするためです。(エフェソ3:8~9)

「すべてのものを造られた神の内に永遠の昔から隠されていた秘儀の計画」と書いてあります。神様ご自身のうちに秘められ、秘密にされていた計画がある、と言います。一体どのような計画なのでしょうか。
今日はエフェソの信徒への手紙第3章8,9節が与えられていますが、その直前の6節に、この秘儀の計画の内容が書かれています。「すなわち、異邦人が福音により、キリスト・イエスにあって、共に相続する者、共に同じ体に属する者、共に約束にあずかる者となるといいうことです。」神ご自身のうちに秘儀として隠されていた計画、それは、異邦人も主イエス・キリストの福音にあずかる者となるという計画だ、というのです。
旧約聖書は、確かに、救いはユダヤ人を中心に与えられると書かれているように読めます。神はユダヤ人をお選びになったのであって、異邦人は神の選びの外にいるし、救いにあずかることがない。だから神の救いにあずかるためにはまずユダヤ人にならなくてはいけない。別の手紙で割礼の問題が出て来るものがありますが、割礼はユダヤ人の民族性の象徴です。割礼を受けるとは、ユダヤ人になることを意味する。まずユダヤ人になることで救いにあずかる。しかし、神ご自身のうちに秘められた計画はそうではない。異邦人が異邦人として神に受け入れられている。ユダヤ人も異邦人も同じ体につながるものであって、どんな人でも神の約束に共にあずかっている。救いや祝福の外にいると思われていた人にも神の手は伸ばされている。無条件で救われる。
神さまの手は私たちが思っているよりも長いのです。救いの外にいる、神さまとは関係ないと私たちが思い込んでしまう人にも、神の手は伸ばされています。すべての人に、神の秘められた計画が宣べ伝えられるために、私たちもまた福音にあずかっている。この福音を証しするために。そのように、聖書は私たちに語りかけています。

2024年12月13日の聖句

モーセは顔を隠した。神を見るのを恐れたからである。(出エジプト記3:6) イエスは近寄り、彼らに手を触れて言われた。「立ち上がりなさい。恐れることはない。」彼らが目を上げてみると、イエスの他には誰もいなかった。(マタイ17:7~8) 今日の新約聖書の御言葉は、ある高い山での出来事...