私だ。義をもって語り、救う力の大いなる者。(イザヤ63:1)
私の気前よさを妬むのか。このように、後にいる者が先になる。(マタイ20:15~16)
今日の新約聖書の御言葉は、主イエスのなさった譬えの最後の部分です。ぶどう園の主人が、自分のぶどう園で働く労働者を雇いに行きました。夜明けに行って、一日1デナリオンの約束で労働者を雇った。その後、主人は9時、12時、3時、5時にも広場に行ってそこにいた人を雇いました。夕方になって一日の仕事が終わり、主人は5時から雇われた人から始めて、皆に一デナリオンずつ支払いました。最後に夜明けから働いていた労働者の番になった。彼は自分はもっともらえるだろうと思っていましたが、やはり一デナリオンでした。彼は怒りました。それに対して主人が言った言葉が、今日の御言葉です。「私の気前よさを妬むのか。」
この話は、誰の立場で読むかによってずいぶんと感想が異なる話です。明らかに、主イエスは、私たちが自分は夜明け組だと思い込んでいるだろう、とお考えです。だから、わざわざ夜明け組が最後、他の皆の給料を見ることのできる順番に配置したのでしょう。私たちに「理不尽だ」と思わせるために。
神さまの恵みは、理不尽です。私たちの基準からすると不公正です。働いた分だけ、労働に見合った恵みではない。神は私たちが考えているよりもずっと気前が良いからです。そして私たちは気付くのです。夜明け組だと思っていたわたしは、実は5時から組だったのだ、と。神の救う力の大きさを侮ることなく、私たちの枠組みに押し込めずに、神の気前よさを喜びましょう。この気前よさが、このわたしをも救ってくださったのですから。
私の気前よさを妬むのか。このように、後にいる者が先になる。(マタイ20:15~16)
今日の新約聖書の御言葉は、主イエスのなさった譬えの最後の部分です。ぶどう園の主人が、自分のぶどう園で働く労働者を雇いに行きました。夜明けに行って、一日1デナリオンの約束で労働者を雇った。その後、主人は9時、12時、3時、5時にも広場に行ってそこにいた人を雇いました。夕方になって一日の仕事が終わり、主人は5時から雇われた人から始めて、皆に一デナリオンずつ支払いました。最後に夜明けから働いていた労働者の番になった。彼は自分はもっともらえるだろうと思っていましたが、やはり一デナリオンでした。彼は怒りました。それに対して主人が言った言葉が、今日の御言葉です。「私の気前よさを妬むのか。」
この話は、誰の立場で読むかによってずいぶんと感想が異なる話です。明らかに、主イエスは、私たちが自分は夜明け組だと思い込んでいるだろう、とお考えです。だから、わざわざ夜明け組が最後、他の皆の給料を見ることのできる順番に配置したのでしょう。私たちに「理不尽だ」と思わせるために。
神さまの恵みは、理不尽です。私たちの基準からすると不公正です。働いた分だけ、労働に見合った恵みではない。神は私たちが考えているよりもずっと気前が良いからです。そして私たちは気付くのです。夜明け組だと思っていたわたしは、実は5時から組だったのだ、と。神の救う力の大きさを侮ることなく、私たちの枠組みに押し込めずに、神の気前よさを喜びましょう。この気前よさが、このわたしをも救ってくださったのですから。