モーセは顔を隠した。神を見るのを恐れたからである。(出エジプト記3:6)
イエスは近寄り、彼らに手を触れて言われた。「立ち上がりなさい。恐れることはない。」彼らが目を上げてみると、イエスの他には誰もいなかった。(マタイ17:7~8)
今日の新約聖書の御言葉は、ある高い山での出来事を伝える話の最後の部分です。ある高い山で主イエスのお姿が変わり、顔は太陽のように輝き、衣は光のように白くなった。そして、モーセとエリヤが現れて主イエスと語り合っていた。光り輝く主イエスを見て、弟子たちは恐れたのです。
主イエスの神の子としてのご栄光がこのように輝いていた、ということでしょう。モーセとエリヤは旧約聖書を代表する人物です。旧約聖書が預言する神の子としてのイエスの栄光が輝いている。そういう出来事です。
弟子たちがそのような主イエスのお姿を見て恐れたというのは、当然のことです。イエスが神ご自身でいらっしゃる、そのお姿を垣間見たのです。もしかしたら、私たちが忘れてしまっている恐れなのかもしれません。私たちの愛する主イエスは神ご自身。聖なるお方。光に包まれたお方を私たちは信じ、礼拝している。
しかしこの神の子は、どこか遠いところ、御簾の向こうにいて私たちとは関わりを持たないお方ではありません。「イエスは近寄り、彼らに手を触れて言われた。『立ち上がりなさい。恐れることはない。』」主イエスの方から私たちの所に来てくださって、私たちに手を触れてくださる。だからこそ、クリスマスの出来事が起こったのです。
クリスマスはまことの神でいらっしゃるお方が来てくださった日です。神さまが私たちの間に宿ってくださった日です。恐れをもって「恐れるな」と語りかけてくださるお方を礼拝しましょう。
イエスは近寄り、彼らに手を触れて言われた。「立ち上がりなさい。恐れることはない。」彼らが目を上げてみると、イエスの他には誰もいなかった。(マタイ17:7~8)
今日の新約聖書の御言葉は、ある高い山での出来事を伝える話の最後の部分です。ある高い山で主イエスのお姿が変わり、顔は太陽のように輝き、衣は光のように白くなった。そして、モーセとエリヤが現れて主イエスと語り合っていた。光り輝く主イエスを見て、弟子たちは恐れたのです。
主イエスの神の子としてのご栄光がこのように輝いていた、ということでしょう。モーセとエリヤは旧約聖書を代表する人物です。旧約聖書が預言する神の子としてのイエスの栄光が輝いている。そういう出来事です。
弟子たちがそのような主イエスのお姿を見て恐れたというのは、当然のことです。イエスが神ご自身でいらっしゃる、そのお姿を垣間見たのです。もしかしたら、私たちが忘れてしまっている恐れなのかもしれません。私たちの愛する主イエスは神ご自身。聖なるお方。光に包まれたお方を私たちは信じ、礼拝している。
しかしこの神の子は、どこか遠いところ、御簾の向こうにいて私たちとは関わりを持たないお方ではありません。「イエスは近寄り、彼らに手を触れて言われた。『立ち上がりなさい。恐れることはない。』」主イエスの方から私たちの所に来てくださって、私たちに手を触れてくださる。だからこそ、クリスマスの出来事が起こったのです。
クリスマスはまことの神でいらっしゃるお方が来てくださった日です。神さまが私たちの間に宿ってくださった日です。恐れをもって「恐れるな」と語りかけてくださるお方を礼拝しましょう。